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【2026/07/09 17:24 】 |
トランプのジョーカは、パパブッシュ同様に、1期だけで、終わる ❣

パパブッシュは、1期だけで終わった大統領であった ❣

アンフェア・スピリット・オーソリティに満ち満ちた
 
現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)の トランプ の ジョーカー

パパブッシュと同様に、1期だけで、終わりだネ ❣

だって、

現在の地球温暖化問題の元凶国 でありながら、

現在の地球温暖化問題の元凶国 として、負うべき義務を棚上げにして、世界中が合意した、パリ協定の内容は、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)が、フェアと思えるものでは無いので、

パリ協定から離脱しただけでなく、

21世紀に於いても、

シェールオイル 、シェールガス を産出し続けて

大気中に二酸化炭素をバラ撒き続ける、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)に有利な条件の国際条約の締結を目指す ❣

と、ほざく ❣

これ程、ジコチュウ精神に満ち満ちた、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)は、

永久に、国際社会から追放すべし ❣

また、

これ程、ジコチュウ精神に満ち満ちた、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)の トランプ の ジョーカー に、

二期目を与えた時点で、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)は、

永久に国際社会から追放すべし ❣

日本に、キチンとあいさつに来た国王を頂く、サウジアラビア王国は、

我が大発明に拠り生産する二酸化炭素排出権を、適正価格で、購入できる ❣

また、

日本の固有領土 である、樺太並びに千島列島全島 を、

日本に無償返還した時

ロシア も、

我が大発明に拠り生産する二酸化炭素排出権を、適正価格で、購入できる ❣

だが、

現在の地球温暖化問題の元凶国 でありながら、

現在の地球温暖化問題の元凶国 として、負うべき義務を棚上げにして、世界中が合意した、パリ協定の内容は、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)が、フェアと思えるものでは無いので、

パリ協定から離脱しただけでなく、

21世紀に於いても、

シェールオイル 、シェールガス を産出し続けて

大気中に二酸化炭素をバラ撒き続ける、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)に有利な条件の国際条約の締結を目指す ❣

と、ほざく ❣

これ程、ジコチュウ精神に満ち満ちた、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)は、

クリスマスキャロルのスクルージと同様に、

クリスマスに、地獄に堕ちる ❣



アンフェア・スピリット・オーソリティに満ち満ちた

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)の トランプ の ジョーカー に、二期目を与えた瞬間に、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)は、

天罰を受けて、

地球上から消滅すべし ❣

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)が、ハリケーンに襲われて、

被害を受けた事実は、

天が、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)に、出した最終警告であった ❣

最終警告を無視する時、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)に、未来は無い ❣

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)の トランプ の ジョーカー に、未来は無い ❣

「ゴースト ニューヨークの幻」に登場した、悪人と同様に、

死ぬと、黒い影が集まって来て、

すぐに、

地獄に引きずり落とす ❣

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)にも、

更なる、災いが起きる ❣

ハリケーンが、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)を、襲い、

現在の地球温暖化問題の元凶国 である、新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティーUSA)を、地球上から抹消する ❣

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【2019/04/01 19:34 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
桜「ソメイヨシノ」の植え替えが進んでいる ❣

植え替えが進む「ソメイヨシノ」の後つぎ品種とは? (転記記事)ここ をクリック 目 )に記載の通り、

現在、日本全国で見ることが出来る、ソメイヨシノの多くは、樹木の寿命を迎えようとしています。
それだけでなく、ソメイヨシノは、「てんぐ巣病」という病気に弱く、それだけでなく、「てんぐ巣病」がソメイヨシノの間で広がっているため、新たにソメイヨシノを植栽すると病気の拡大につながる ❣

この為、ソメイヨシノの代わりに植える桜は、「てんぐ巣病」に強い桜が選ばれる ❣

この為、「日本花の会」がソメイヨシノに代わって推奨しているのは、コマツオトメとジンダイアケボノという2つの品種です。


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【2019/03/31 10:41 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
消え行く電気街「大阪日本橋でんでんタウン」恵美須町界隈(転記記事)


---転記始め---

消え行く電気街 「大阪日本橋でんでんタウン」 恵美須町界隈

Windows95の発売以降のパソコンブームに乗って、多くのパソコンショップ・電気店・中古ゲームショップで賑わった大阪日本橋「でんでんタウン」。特に恵美須町駅付近はソフマップ・スタンバイ・ニノミヤ電気を中心に大型ショップが立ち並び、週末になると人混みに溢れていた。

かつて存在した西の秋葉原「でんでんタウン日本橋」

大阪の日本橋は東京の電気街「秋葉原」と並ぶ巨大電気街だった。Windosw95が発売された1990年台中期から2000年にかけては非常に多くのパソコンショップや電気街、ゲームショップが立ち並び、関西圏の多くのPCマニア・ゲームマニアで賑わっていた。

秋葉原が「面」のように広がっている電気街とすると大阪日本橋は「線」の街と称させる事が多い。なんば駅界隈から恵美須町駅にかけての堺筋一体に広がり、全盛期はメインロードの裏手まで店舗が進出していた時期もある。

シャッター街になりつつある恵美須町界隈

日本橋に多数の店舗を出店していたソフマップ。かつては1号店が恵美須町駅付近にあった事もあり、4号店と共に中古PC・自作PCパーツ、新品・中古TV・PCゲームを多数扱うマニア御用達の店舗を出店していた。その他にも関西資本の電気店が並び、その集客力を糧に多くの小型ショップが立ち並んでいた。

しかし2000年台後期頃より大型店舗の撤退や空き店舗が目立ち始め、現在は多くの店舗が閉鎖している。ソフマップも1店舗を残して全て撤退しており、集客力が維持出来ている「なんば側」のザウルス付近に機能を集約しつつある。シャッターを下ろした店舗がメインロードにも広がっている。

かつてはPCゲームソフトやPCパーツ・中古パソコン屋で溢れているた雑居ビルも空きが目立つ。裏道まで進出していた店舗は軒並み撤退しており、その名残がかつての賑わいを語っている。

ゲームマニアでひしめいていたソフマップ4号店

かつて存在していたゲームを中心に扱う「ソフマップ4号店」は非常に狭く、ゲームマニアでギュウギュウ詰めになっていたのは思い出深い。コンシュマーゲーム全盛期を迎えていたセガサターン・プレイステーション・N64の三つ巴戦争の時期は、人混みで階段を通るのも難儀してたほどだ。

1Fが新品ソフトやメジャーソフトを扱っており、上の階にいくほどマニアックな品揃えになっていた。必然上層階はマニア濃度が高まり、自分の知らないゲームや掘り出し物を求めて物色するのも楽しかった。しかしソフマップ4号店は撤退し、かつてあった場所は居酒屋やトランクルーム店舗と化している。

PCパーツや中古パソコンを豊富に扱っていたソフマップ1号店も現在は反対側に機能を写して閉鎖している。自作PC市場が元気だった頃は店員と客がマニアックな相談を行っていたのは懐かしい。

店員も生粋の自作PCマニアが多く、大型店舗にはない専門店ならではの雰囲気が良かった。上層の3F、4FはジャンクPCや中古パソコンを豊富に扱っており、物色してる内にいつの間にか、使い道があるのか怪しい特価パーツを握りしめていた頃を思い出す。

完全にシャッター街化している日本橋商店街

大通りから少し入った位置にあった日本橋商店街は更にシャッター化が進んでいる。かつて小規模な店舗が密集し賑わっていた通りは、現在は閉鎖状態となっており、人通りは殆どない。

都会の喧騒の中にポッカリと出現する昭和から時間が止まってしまった廃墟の様な雰囲気はある意味一見だ。観光に訪れた際は足を踏み入れてみるのも良いだろう。

かろうじて生き残っている店舗

唯一の大型店舗 J&Pテクノランド

現在の恵美須町界隈では大型の店舗Joshinやソフマップが辛うじて現存している。特に関西資本を店内で盛んにアピールしているJoshinの上層階では多くの自作PCパーツを扱っているエリアがあり、新今宮側からアクセスする際には便利だ。 

*最盛期には阪神高速環状線下まで店舗が増殖していた。現在は更地や駐車場になっており、その名残はない。

日本橋の青の象徴ソフマップ1号店の閉店

かつて青い看板が列挙していた恵比寿街の象徴ソフマップも1店舗残っている。1Fは現在の需要に合わせてスマホやモバイルメインになっているが、上の階は自作PC・中古PC・中古ゲーム・PCゲーム・フィギュアと一通り揃っている。

(中略)

*追記 ソフマップ1号店も閉店が決定したようだ。これで恵美須町界隈からソフマップは完全撤退し、なんば付近のザウルスのみとなる。梅田からも撤退しており、現在のPC市場の厳しさが分かる。

 ソフマップ撤退に合わせて隣接していたディスクプラザも撤退した様だ。  

 小規模ゲームショップとメディアショップ

この界隈は中古のゲームショップも豊富に存在していたが現在は多くが閉鎖している。レトロゲームを中心に扱うゲーム探偵団が何とか継続しているといったところだ。関西では数少ないレトロゲーム専門店なので恵美須町まで足を伸ばす機会があれば訪れてみる事をおすすめする。オタロードより少し安価な事が多い。

 

なぜかディスクメディアを扱う店舗は生き残っている店舗が多い。ネット配信が中心になっていく現状では維持も難しいと思うが、かつての名残を感じれる数少ない店舗だけに生き残って欲しいところだ。

海外の観光客向けにシフト

ジョーシンとソフマップ共に中国人観光客を意識した展開が目立つ。新今宮から新世界界隈を観光してきた客でなんとか維持できているといった所だろうか。

ジョーシンの隣には免税店があり、大型バスに乗った団体ツアー客がひっきりなしに出入りしている様だ。爆買いが一段落した現在も、発展目覚ましい中国人観光客の需要は無視できない。

縮小するPC市場を物語るショップたち

自作PCショップも数を減らして入るが、この界隈には2,3店舗現存している。しかし年々減少しており現在の自作PC市場の縮小を物語っている。パソコン工房やツートップといった店舗も現在は消滅しているか形態を変えている。店舗後にはアニメ系のショップに変わってる具合だ。

関西の自作PCマニア御用達の1’s(ワンズ)も時代の変化に対応するために、店舗入口付近がモバイル中心に移行した様だ。平置きで飾られたマザーボードの箱や自作パーツを見るのが楽く訪れていただけに残念でならない。CPUやメモリの価格一覧が掲載されている生粋のパーツショップの空気を残した唯一の店舗だったので、何とか踏ん張って欲しいところだ。

でんでんタウンの中心はオタロードに

衰退が目立つ恵美須町と反比例するように現在は「オタロード」と称させる「なんば」側は反映している。アニメ・フィギュア・コスプレ・同人誌・レトロゲームショップなどが立ち並び、週末は多くの人でごった返す。

範囲は以前と比較すると大幅に狭くなっており「線」というか「点」だが密度は高い。オタロードを中心に店舗エリアも徐々に広まっており、現在の大阪日本橋の中心はこちらの移ったと断言して良いだろう。

週末になれば観光客や家族連れも多く訪れ、さながらミニ秋葉原といった状態だ。ただし歩道が存在しない状態で、歩行者天国のようになった道路に結構な速度で車が往来しているので注意が必要だ。

かつての名残で懐かしい気分に浸れる期間はもう残り少ない

現在は「なんば」側にオタク街の機能が集約しているため、なかなか恵美須町まで足を伸ばす人も少なくなっているだろう。しかし90年代末期の日本橋電気街の賑わいを知る30~40代のかつてのオールドゲーマーやPCマニアは時々恵美須町界隈まで足を伸ばすのも悪くない。

幸いにも「なんば」から「新今宮」は直線でルート構築しやすい。帰りにフラッと新世界界隈で観光気分に浸れるのも良い。恵美須町界隈の店舗は現在も年々閉店が続いている。現存している店舗や、かつての名残で懐かしい気分に浸れる期間はもう残り少ない。

電気街への行き方、地図

場所:大阪 電気街 「日本橋でんでんタウン」

アクセス:大阪市営地下鉄堺筋線 恵比寿町駅 北A・1B出入口1すぐ

(以下省略)

---転記終わり---
   ・「消え行く電気街「大阪日本橋でんでんタウン」恵美須町界隈」(ここ をクリック emoji




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【2019/03/30 18:43 】 | いいもの見つけた | 有り難いご意見(0)
パンチカードシステムの歴史(転記記事)

---転記始め---
 

スタートページ> (主張・講演Web教材歴史コンピュータ出現以前

パンチカードシステムの歴史

コンピュータ出現以前に、特に米国では、紙カードを用いた大量データ処理が行われていた。それをパンチカードシステムとかタビュレーティングマシンという。そこでのカードやカード穿孔・読取装置は、コンピュータシステムでも、ディスプレイ付のキーボードが普及する1970年代中頃まで用いられていた。


参考URL


パンチカードシステムとは

パンチカードシステム(PCS:Punch Card System)は和製英語で、米国ではタビュレーティングマシン(Tabulating machine)という。コンピュータ出現以前に、大量の事務処理に活用された形態である。

その特徴は、穿孔されたカードが記憶媒体になっていることである。すなわち、穿孔されたカードをソート/マージ/仕分けしたり、集計して編集し印刷したり、計算結果を新しいカードに穿孔したりすることにより処理するシステムである。
 その処理は、個々の処理のために作られたカード分類機(カードソーター)や作表機(タビュレーター)などの機械群を通すことで行われる。また、個々の機械の処理を指示するプログラムは配線板の配線を行う(プラグボード制御盤に差し込み穴の配列があり、これらの穴を導線でつなぐ)ことで実現していた。

コンピュータの実用化により、パンチカードシステムは使われなくなったが、これらの機器は補助機器として残った。特にカード穿孔機やカード読取機(カード装置と総称する)は、ディスプレイ付のキーボードが普及する1970年代後半まで、汎用コンピュータのプログラムやデータの作成のために重要な周辺機器となった。

カードを多数の機器群で用いるので、カードの形状や穿孔コードの標準化が重要である。IBMはパンチカードシステム時代の発展期に大きなシェアを獲得した。そしてIBMが採用していたカード仕様が、コンピュータ時代に継承されたのである。

パンチカードシステムでの主な機器群

  • カード穿孔機(punch)
    タイプライタの印字部を穿孔機構にしたものである。単に穿孔するだけのものとカードに印字ができるものがある。1枚のカード穿孔途中でエラーがあると、そのカードを廃棄して打ち直す必要がある。
  • カード分類機(sorter)
    カードの特定カラムを指定して、その穿孔位置によりそれぞれのホッパーに分類する機械。これを何回も行うことにより複数のカラムにわたるソートができる。
  • カード照合機(collator)
    ソートされているかどうかを確認する機能やある条件に合致するカードだけを取り出す機能をもつ。ソートされている2組のカード群を一つにまとめるマージ機能をもつものもある。
  • 作表機(tubulator)会計機
    ソートしたカード群を読み込んで、「金額=数量×単価」程度の簡単な計算をして、小計・中計・大計を計算して作表する。これらの処理内容は配線によるプログラムで指示される。
  • 合計穿孔機(summary punch)
    処理が複雑な場合は、最初の処理で集計結果をカードに穿孔して出力し、それを入力として編集処理を行うこともある、その穿孔を行うものを合計穿孔機という。

カード穿孔機:IBM 026 keypunch(1949)とカード

カード分類機:IBM 082 card sorter(1949)とボード部

作表機:IBM 407 Accounting Machine(1949)とボード部(配線)
出典: Columbia University Computing History IBM 026IBM 082IBM 407
(いずれも図をクリックすると拡大図が表示される)


パンチカードシステムの歴史

パンチカードシステムの始まり

  • 1801年 ジャカード織機
    1801年、フランスの発明家ジャカール(Joseph Marie Jacquard)が発明した自動織機は、穿孔したカードの穴の位置により織機の糸の上げ下ろしを制御して模様を編む機能をもつ。すなわち、カードを入れ替えることで織機の操作を変更できるプログラマブルな機器であり、パンチカードを用いて制御を行った初めての機械だとされている。
  • 1887年 ホレリスのパンチカード
    1887年、ホレリス(Herman Hollerith)は、ジャカード織機でのパンチカード制御を応用したリレー方式の電動作表機(タブレーター)を開発した。このとき、ホレリスは、カードの形状(ドル紙幣と同じ、3.25inch×6.625inch)や英数字と12個の穴の位置を対応させた文字コード(ホレリスコード)を策定した。当初は12×45桁であったが、1928年に12×80桁になった。それをホレリスカード(Hollerith card)という。このカード仕様はコンピュータ用としても標準となる。
  • 1890年 米国国勢調査
    ホレリスのタブレーターは、1890年の米国の国勢調査で使用された。前回1880年の国勢調査では7年を要した統制処理が3年で完了するという好結果を得た。これが最初のパンチカードシステム活用例だとされる。

ホレリスのカード穿孔機(左)と操作部拡大図(右)
出典: kyo_oomiya「ホレリスのパンチカード穿孔機」

Hollerith Census Tabulator(1890) (拡大図)
出典: Columbia Univ.「Hollerith Census Tabulator」

パンチカードシステムの発展

1900年~1950年の間がパンチカードシステムの実用期であった。主要メーカーは、
  ホレリス系:Tabulating Machine →C-T-R Company → IBM
  パワーズ系:Powers → Remington Rand (→Unisys)
の2社である。

IBMの設立

  • 1896年 ホレリス、Tabulating Machine社設立
    米国国勢調査での実績により、パンチカードシステムの効果が認識され、民間企業を含む需要が増加。
  • 1911年 C-T-Rカンパニー設立
    タビュレーティング・マシーン・カンパニー、コンピューティング・スケール・カンパニー(秤のメーカー)、インターナショナル・タイム・レコーディング・カンパニー(タイムレコーダーメーカー)が合併、C-T-R(Computing-Tabulating-Recording)カンパニーとなる。IBMでは、この年を同社創立の年としている。
  • 1914年 ワトソン・シニア(Thomas John Watson, Sr)が初代社長に就任
  • 1924年 社名をIBM(International Business Machines)に変更
    この間に、ホレリス系のパンチカードシステムが先行独占的な地位を獲得した。

パワーズの挑戦

  • 1910年 国勢調査にパワーズ機を採用
    国勢調査局とホレリスの関係はうまくいかず、ホレリスの初期の特許は20年を超えて消滅していた。国勢調査局はパワーズ(James Powers)にタブレータの改良を行わせ、印刷機能をつける改良が行われた。そして、1910年の国勢調査にパワーズのタブレータを使用した。
  • 1911年 パワーズ、Powers Accounting Machine社を設立
  • 1914年 Powers Tabulator開発
    パワーズの代表的なタブレータである。印刷機能との連携、穿孔でのタイプライタと同じキーボード、誤り防止の機能などが採用されている。
  • 1927年 レミントンランド、Powers Accounting Machine社を吸収。
    レミントンランド(Remington Rand)は、第一次世界大戦中の拳銃製造、汎用コンピュータUNIVACでも有名。1955年にスペリー(Sperry)と合併し、さらに1986年にバローズ(Burroughs)に吸収合併されユニシス(Unisys)となった。

パワーズ系のパンチカードシステムは国勢調査局との関係やPowers Tabulatorなどの新規工夫により、一時はホレリス系を追撃したのであるが、ホレリス系の圧倒的な実績、ワトソンの経営力には勝てず、この分野での勢力を失っていいった。

レミントンランドでは、Univac用のカードにホレリスカードではなく、90欄丸穴のカードを採用していた。しかし、コンピュータの分野でもIBMとの競争に敗れ、この90欄カードも使われなくなった。


Univacの90欄カード (拡大図)
出典: Wikipedia「パンチカード」

パンチカードシステムの衰退

米国でのパンチカードシステムは、1950年代までに広く普及した。第二次大戦終戦以降も経済の米国集中による活況により需要が増大した。
 1960年代になると、コンピュータが実用化されてきた。パンチカードシステムでは、個々の機械は単一処理しかせず、一連の処理をするには、機械の間を大量のカードを人手で受け渡ししなければならない。コンピュータを用いれば、いったんカード読取装置からコンピュータに入力すれば、一連の処理はコンピュータ内で行われるし、データの記録も磁気テープや磁気ディスクが利用できる。その優劣は明白であり、パンチカードシステムは急速にコンピュータシステムへと移行した。

パンチカードシステムを構成したいた機器のうち、タブレータのような計算処理や印刷を行う機械はコンピュータに置き換わった。しかし、カード穿孔装置はコンピュータの入力機器として、ますます需要が増大した。ソーターなどは穿孔から入力までの補助装置として用いるというように、特に必要ではないがある間は有効に使うような機器もある。このように、一斉に置き換わるのではなく、自然消滅していったのである。

日本でのパンチカードシステム

川口式電気集計機

1920年(大正9年)の第1回国勢調査にパンチカードシステムを利用すべく、早期から開発が行われた。
 1905年に、逓信省技師の川口松太郎は川口式電気集計機を開発した。これが日本初のパンチカード・システムとされる。1890年の米国国勢調査に用いたホレリスの機械と類似した機構になっている。
 この機械は、「明治37年人口動態統計調査」の集計に実際に利用されたのだが、1923年の関東大震災により11台中10台が焼失し、国勢調査はホレリス式の機械を輸入して処理された。

戦前はほとんどが輸入

川口式電気集計機や逓信省電気試験所による改良機など国産化も試みられたが、ほとんどがホレリスとパワーズの輸入であった。
1923年 パワーズ:内閣統計局、鉄道省、横浜税関等が採用
1925年 パワーズ:日本生命
1925年 ホレリス:日本陶器
1934年 バロース:日本生命
1934年 ホレリス:帝国生命
1937年 ホレリス:住友生命
1938年 ホレリス:第一生命
1938年 ホレリス:川崎飛行機

1920年代では、米国でパワーズが活躍した時代であり、日本でもパワーズがほとんどであった。特に鉄道省の規模は世界最大といわれた。
 それが、1930年代になると米国でIBMが独占的地位を得るとともに、輸入機もホレリスになっていくとともに、日本での活動を行うようになった。
1925年 森村組、IBMの日本代理店になる
1937年 日本ワットソン統計会計機械株式会社設立
(1950年 日本IBMに社名変更)

戦後は、コンピュータへ

戦後になると、
1947年 塩野義製薬、IBM 1948年 厚生省統計調査部、レミントン・ランド など、いくつかの例があるが、まもなく時代はコンピュータの時代になる。

すなわち、日本でのパンチカードシステムは、利用企業は公官庁や保険業が主であり、一般の企業ではパンチカードシステムを体験せずにコンピュータの導入をした。メーカーでは、パンチカードシステムとしての機器の国産化は定着せず、汎用コンピュータの入力装置としてのカード穿孔装置やカード読取装置の開発が行われることになった。

---転記終わり---
   ・「パンチカードシステムの歴史」(ここ をクリック emoji

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【2019/03/29 19:06 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
今あるCO2をいかに減らすか? (転記記事)
---転記始め---

今あるCO2をいかに減らすか?ハーバード発、空気中のCO2を燃料に変える大規模プラプラント

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いま、CO2の削減が気候変動への対策の一つとして求められている。新たなCO2排出を削減していくことも大切だが、すでに空気中には200年間に渡って人類が排出してきたCO2がたまっている。この状態をどのように対処していくかが、現代に生きる私たちの課題だ。

この空気中にあるCO2の除去を目的として、ハーバード大学のキース教授ら研究チームは、1年間で100万トンのCO2を除去し、燃料に変える産業規模のパイロット工場を建設した。

(c) Carbon Engineering

空気中のCO2を除去する「直接除去」は1940年代から行われてきたが、2011年に行われた概算では1トン当たりのCO2除去に1,000米ドルものコストがかかり、実際の適用には高価すぎると考えられてきた。研究チームは、Carbon Engineering社の技術により、1トン当たりを94米ドルから232米ドルで除去できると推定。これは、CO2を直接空気中から除去するプロセスにおける、世界初の商業用コストとなる。

Carbon Engineering社は、キース教授が2009年に共同設立した会社だ。CO2を空気中から直接除去し、飛行機や客船など電化が難しい乗り物用にカーボンニュートラルな燃料を生産し、二酸化炭素を排出しないエネルギーを高エネルギー燃料に変換することを目標としている。

新製品や新工程を開発するのではなく、既存の技術に基づいて商業用スケールで設計を行っていることがCarbon Engineering社の特徴だ。研究チームは、設備の各部品の商業用のサプライヤーと共に実験や技術変更を行い、原価見積を行った。

パイロット工場のシステムは以下の通りだ。水酸化物の水溶液を擁する改造済の産業冷却塔がCO2を吸収して、炭酸塩に変換する。変換された炭酸塩は、元々は浄水場において鉱物の抽出のために作成された装置で、ペレットになる。そしてペレットは、金を焼くために本来設計された窯で熱せられ、純粋なCO2ガスに変換されてから、最終的に合成燃料となるのだ。

キース教授はこう語る。「パリ協定が締結され、皆がCO2除去について話をしているが、分析のほとんどは二次文献であくまで政策の展望でしなかい。われわれの研究は、技術と価格分析に基づいたCO2直接除去の初めてのコスト見積もりだ。」

次のステップは、低価格で大規模、そして低炭素燃料で再生可能な電力市場に対応する工場の建設だという。既存の設備を使って、空気中からCO2を除去して低コストで燃料に変える工場。新旧をうまく組み合わせた、CO2削減に向けた実践的な研究開発のこれからが期待される。

【参照サイト】Team plans industrial-scale carbon removal plant
(※画像:Harvard Universityより引用)

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【2019/03/28 19:46 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
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