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【2026/07/10 18:16 】 |
広電ストア・マダムジョイが、マックスバリューに経営移譲 ❣(転記記事)
---転記始め---

広電ストア・マダムジョイ、10月からマックスバリュに-イオングループに経営譲渡

広電ストア・マダムジョイ、10月からマックスバリュに-イオングループに経営譲渡

広島電鉄の子会社「広電ストア」(マダムジョイ)は、10月1日付で全店舗をマックスバリュ西日本に経営譲渡することを7月23日に発表した。

広電ストア・マダムジョイ千田店。
(電車はイオン・ジ・アウトレットに移設)

マダムジョイ、イオンの「マックスバリュ」に

広電ストアは1964年に広電会館の核店舗として1号店「広電ストア己斐店」を出店。その後、広島都市圏や島根県に店舗網を拡大した。1号店の己斐店は「ズッコケ三人組」の舞台としても親しまれた。

1号店である己斐店。

(中略)


2018年3月には己斐店が老朽化のため閉店し、7月現在は広島市内に食品スーパー「マダムジョイ」5店舗を展開するほか、広島市周辺で広電バスを改造した移動スーパー「ヒロデンジャー」の運営もおこなっている。
また、私鉄系スーパーの商品開発グループである「八社会」に加盟、同グループのプライベートブランドも導入している。

イメージキャラクター「地産地製戦隊 ヒロデンジャー」。

広電ストアは10月1日付でマックスバリュ西日本に経営譲渡される。移動販売車ふくむ全店舗が順次「マックスバリュ」に改装されるとみられる。
マックスバリュ西日本は2011年10月に創業地の姫路市から広島市の旧「広島サティ」に本社を移転させており、広島都市圏での店舗展開を拡大させている。

追記:9月26日に全店閉店、10月末までに再開店へ

マダムジョイは9月26日に全店を閉店。
マックスバリュ西日本は店舗を改装したうえで、10月末までにマックスバリュの店舗として再開店させる予定としている。

ニュースリリース:株式会社広電ストアの事業譲渡に関する基本協定書締結のお知らせ
関連記事:ひろでん会館、3月31日閉館-マダムジョイ己斐店なども閉店、再開発へ
関連記事:ジ・アウトレット広島、4月27日開業-イオン、西風新都に「地域創生型商業施設」

---転記終わり---
   ・転記元「都市商業研究所」(ここ をクリック emoji

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【2018/12/01 10:38 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
原発廃炉の作業員になった「ヤメ暴」ーー行き場のない人間が辿り着いた場所(転記記事)

---転記始め---

横関一浩

原発廃炉の作業員になった「ヤメ暴」――行き場のない人間が辿り着いた場所

11/19(月) 7:46 配信

全基廃炉に向けて、いまなお懸命の作業が続く東京電力の福島第一原発。周辺の汚染された地域では除染作業も続く。その“日本で最も危険な場所”ともいえる現場で働く元ヤクザたちがいる。暴力団への締め付けが厳しくなるなか、ヤクザをやめても仕事はなく、暮らしはままならない。行き場を失った彼らが、生活をするためのよりどころとして辿り着いたのが福島第一原発だった。その“現実”を当事者たちに聞いた。(取材・文=今西憲之、鈴木毅/Yahoo!ニュース 特集編集部)

強化される「身元調査」

東京電力の福島第一原発敷地内に廃炉作業の拠点として2016年に完成した新事務本館。今春、その最新鋭の建物の一室に呼び出された作業員は、向かい合った東電の面接官から矢継ぎ早に質問された。

「暴力団との関係はありますか?」

「過去5年に懲役刑は?」

「海外への渡航歴は?」

1対1の面接で根掘り葉掘り過去を聞かれる。

原子力規制委員会がテロ防止のために電力会社に義務づけた「身元調査」だ。

原発作業員に対して、住民票など身元を証明するものを提出させ、海外渡航歴や薬物歴、犯罪の前科、暴力団やテロを行う恐れのある組織との関係などを自己申告に基づいて調べる。中央制御室や放射線管理区域などに立ち入ったり、重要情報に接したりする作業員たちを対象に2017年11月から始まった。それが“末端”にまで広がってきたのである。

廃炉作業が進む福島第一原発(撮影:横関一浩)

「もちろん元ヤクザだなんて言えません。『過去にはやんちゃしていたけど、この5年間は警察の世話になったこともない』というくらいの話でごまかして、なんとか乗り切りました。

面接官の関心はむしろテロ組織とのつながりで、海外渡航歴を執拗に聞かれましたが、そっちはたまに東南アジアに遊びに行くくらいですからね」

そう語るのは、数年前からフクイチの現場で汚染水処理関連の作業に従事する40代後半の岸田孝雄さん(仮名)だ。作業服に身を包み、穏やかな表情で淡々と語る姿からは想像しにくいが、以前は指定暴力団6代目山口組の直参組長に側近として仕えていた人物である。警察が作成したある抗争事件の捜査資料にも、岸田さんの名前は「組幹部」として載っていた。

10年ほど前にヤクザの世界から足を洗い、職を変えながら辿り着いたのが、フクイチの現場だった。

原発作業員としてフクイチで働く岸田さん(撮影:横関一浩)

「まさかヤクザから原発の仕事に転身するなんて思ってもみませんでした。原発の現場に入るのはさすがに審査が厳しいだろうと不安でしたが、実際はザルで誰でも仕事ができた。現場には、数年前まで元ヤクザや前科者がゴロゴロいましたよ。ただ、とにかく人手が必要だった“急性期”は終わったのか、ここ2~3年で審査が厳しくなって、いまはもう、スネに傷をもつ人間はなかなか中に入れません。すでに働いていた人たちも、今年に入って身元調査が厳しくなるというウワサが流れて、過去がバレる前に辞めようと去っていった。いま残っているのは、過去はなんであれ、“プロの職人”です」

下請け会社に紛れ込む暴力団

フクイチの現場では全基廃炉に向けて、今も終わりの見えない闘いが続いている。東電によると現在、敷地内では1日当たり約4230人(東電社員を含む)が働く。

廃炉の作業は、完了するまでに30~40年かかるとされ、事故処理の費用は20兆円を超えると試算される。しかも、「コントロールされている」とされる放射性物質が混じった汚染水は、今この瞬間もたまり続けている。この9月には東電が、汚染水をためたタンクから放出基準値の最大2万倍にあたる放射性物質が検出されたことを発表した。

上記の作業員数は東京電力の社員もふくむ。東電のまとめを元に編集部で作成(図表:EJIMA DESIGN)

廃炉や除染の現場は常に人手不足だ。

作業員募集の流れは、「東電(周辺地域の除染作業では環境省や自治体)→元請け会社(メーカー、ゼネコン)→1次下請け→2次下請け→3次下請け……」という構図になっている。もちろん、元請けのメーカーやゼネコンは暴力団の徹底排除を謳っているが、下位の下請け会社の中には暴力団の企業舎弟も紛れ込んでいるのが実態だ。

警察庁がまとめた2012年上半期の「暴力団情勢」では、〈被災地の復旧・復興工事に労働者を違法に派遣するなど、震災の復旧・復興事業に介入している実態がうかがえる〉と指摘されている。すでに事件化したケースもあり、新聞報道によるとこれまでに違法に除染作業員を派遣したとして2013年に住吉会系組員が、2015年には山口組系組員が逮捕された。2017年9月にも山口組系組長が逮捕されるなど、摘発が相次いでいる。

危険を伴い、人が集まりにくい作業で、そこに巨額の公的資金が投入されている。原発作業員や、さらに多くの人員を必要とする周辺地域の除染作業員は、復興マネーを狙うヤクザにとって大きなビジネスチャンスになっているのは間違いない。

放射線量が高い「帰還困難区域」の出入り口は警察が厳重に警備している(撮影:横関一浩)

生活に困ったヤクザにちょうどいい

もっとも、冒頭の岸田さんのような暴力団を離脱した組員、いわゆる「ヤメ暴」のケースは、復興ビジネスとして暴力団が入り込むケースと、また違う一面がある。

「ヤメ暴たちの『再就職』事情」で紹介したように、暴力団対策法や暴力団排除条例などの整備や、捜査当局の取り締まり強化によって、いまやヤクザは「食えない職業」になった。ヤクザをやめた後も、おおむね5年間は暴力団関係者とみなされ、銀行口座開設や住居の賃貸契約などが制限される。仕事にもなかなかありつけない。元ヤクザたちは厳しい現実に直面しているのだ。

それだけに、廃炉や除染の現場は、こうした行き場を失った元ヤクザたちが最後に行き着く場所にもなっている。3次下請けの原発作業員として働く牧野哲夫さん(仮名)が、こんな話をしてくれた。

「自分はこれまで10人くらい、原発作業員として元ヤクザを入れました。会社と話して1人につき1日2000円くらい斡旋料をもらっていた。懲役のときに刑務所で知り合ったヤツが中心。中には出所時に刑務所まで出迎えにいって、そのまま連れてきたこともある。自分の給料と合わせて、多いときで月100万円以上の金額をもらっていましたね」

牧野さんら、作業員の働く現場。ヘルメットがズラリと並ぶ(写真:ロイター/アフロ)

そう話す牧野さん自身、背中に大きな入れ墨がある。20年近くその世界で生きてきた山口組系列の元組幹部である。

「シャバではヤクザがますます厳しい状況になっています。生活に困った元ヤクザはいくらでもいる。みんな元ヤクザの肩書を背負って世間で生きていくことが、どれだけ厳しいかよく分かっている。作業員になれば、会社の寮にも住めるし、食いっぱぐれた元ヤクザにはちょうどいいですよ」

危険で敬遠されがちな仕事だからこそ、“社会から放り出された人間”でもお呼びがかかる。「みんなキレイごとを言っていますが、自分たちのようなヤクザ者がいなければ、原発の収束作業はどうにもならなかった」――牧野さんは、そう自負する。

組長の「お付き」からデリヘル運転手へ

岸田さんが生まれ育ったのは東海地方。ヤクザの道を歩み始めたのは20歳を過ぎたころだ。中学、高校時代はやんちゃに明け暮れた。高校中退後は地元でフラフラするばかりで、たまにバイトで稼ぐような日々。そこを偶然、地元の先輩にスカウトされてヤクザの世界に入った。当初は“腰掛け”のつもりだったが、組長に気に入られ、以来十数年、ヤクザとして生きてきた。

「いまは一作業員なんで、作業するしかない」と岸田さん(撮影:横関一浩)

「組長にずっとつく“お付き”がヤクザとして一番長くかかわった仕事でした。例えば、組長が神戸の山口組本部に上がるときは、常に周辺に異常がないか、襲撃の危険性がないか確認しながら同行します。緊張の連続でしたが、組長はとても情に厚く、子分にも気遣いを欠かさない。誇りに思える人物で、自分も必死で仕えてきました」

しかし、転機が訪れる。所属する組が抗争に巻き込まれ、事件になったのだ。

「組幹部をはじめ逮捕者が出て、自分もパクられてしまった。仲間の何人かはヒットマンの嫌疑をかけられた。事件をきっかけに組の内部がギクシャクし始めて、出所後も戻るに戻れない状況になってしまいました。それで、何かが自分の中で切れてしまって、ヤクザとは縁を切る生活を始めたのです」

しかし、元ヤクザの働き口は限られている。地元を離れ、友人のつてでなんとか都内のデリバリーヘルスで女性の送り迎えをする運転手の職を得たが、2011年の東日本大震災で店の売り上げが激減し、仕事がなくなってしまった。

その後、同郷のラーメン店の店主に拾われ、スタッフとして働き始めたが、これも2年ほどで経営不振から閉店。「またしても仕事を失って、どうしようかと途方に暮れていたときでした。ヤクザで同じ組にいた元同僚から連絡が来たのです」と岸田さんが振り返る。

(撮影:横関一浩)

30人いれば10人はヤクザ者

“旧友”はフクイチの中で仕事をしていた。聞けば、労働時間に比べて報酬はかなりいいという。人手不足だから、ぜひ来てほしいというのだ。

「月50万円は堅いということでした。元ヤクザでも大丈夫なのかと不安でしたが、現実に彼は中に入って仕事をしている。それならば、と紹介してもらうことにしたのです」

元同僚が所属していたのは、原発事故の収束作業をしている3次下請けの会社だった。岸田さんには原発の知識もなければ、現場作業の経験も若いころにやったアルバイト程度。しかも元ヤクザ。それでも履歴書の職歴に「ラーメン店勤務」と書き、面接を受けると、あっさり採用された。

(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

初めて原発敷地内に入った日のことは、よく覚えている。放射性物質に触れても体に付着しないように白い防護服を着て、手首や足首をテープできつく巻く。顔には全面マスクをつける。

「怖くないといえばウソになります。顔や手足が締めつけられ、じっとしていてもすごい汗。緊張して心臓がバクバクしているのが分かりました。自分みたいな人間が、原発事故の収束作業という、こんな大それた仕事をしていていいのか、と思いましたよ」

そんな疑念もすぐに消えた。作業が終わって着替えるとき、ふと見回すと、あちこちに入れ墨姿が。明らかに小指がない者もいる。

「30人いれば、10人はヤクザ者でした。突っ込んだ話はしませんが、お互いその世界にいたからすぐ分かる。そういう場所なんだ、と思いました」

言うまでもなく原発内での作業は常に危険と隣り合わせだ。特に汚染水処理関連の作業には細心の注意が必要で、防護服の上に専用の分厚い雨がっぱという重装備で作業に当たる。

「夏場の暑さは想像を絶します。作業は1時間もできない。立ちくらみが起き、息もできなくなる。熱中症寸前です。そこで倒れたら会社の管理問題になってしまうので、踏ん張るしかない。ヤクザのときよりつらい経験でした」

福島第一原発事故で汚染水のタンクを設置する作業員ら(写真:毎日新聞社/アフロ)

しかも、現場での作業は被曝から逃れることはできない。作業員の被曝線量の上限は、国の基準として「1年間で50ミリシーベルト」「5年間で100ミリシーベルト」と決まっているが、1日で1ミリシーベルトを超えることもある。

「つい最近も、仲間が作業中に高濃度の汚染水を全身に浴びてしまった。防護服の上からでもかなりの被曝で、すぐに除染をしたから大事には至らなかったものの、一歩間違えば命にかかわっていた」

さらに厳しいのは、原発作業員の仕事が「割に合わなくなってきている」ことだ。以前に比べて日当は確実に下がっている。1年ほど前には、3次下請けの作業員にも社会保険の加入が義務づけられた。保険料が日当から差し引かれ、「やっていられない」と何人もの仲間が辞めていった。

数年前に月50万円以上あった岸田さんの給料は、いま月30万円に届かない。年2回、ボーナス代わりに「危険手当」をまとめてもらえるが、それもこの先、十分な金額が出続けるか分からない。もはや“おいしい仕事”ではなくなりつつあるのだ。

除染で出た廃棄物は二重構造の「黒い袋」に入れられて管理・保管される(撮影:横関一浩)

それだけに、「多くの元ヤクザたちが、条件の緩い除染作業のほうに流れている」と岸田さんは言う。その状況は、元ヤクザを“斡旋”する側の前出・牧野さんの証言からも裏付けられる。

「今では原発の仕事もすっかり管理が厳しくなって、たとえヤクザをやめていても簡単には入れません。収入も一時期ほどよくないので、周辺地域の除染作業に人を回していますよ。除染作業は原発内の仕事ほどやかましいことを言われない。だから、そっちに人を送ればいい。まだまだビジネスチャンスはあるので、稼がせてもらおうと思っています」

「帰還困難区域」で進む復興作業

原発事故でまき散らされた放射性物質の除染作業は、放射線量が高いため長期間帰宅できない福島県内の「帰還困難区域」(双葉町、大熊町など)を除き、2017年度末でおおむね終わったとされる。環境省直轄で除染が進められてきた福島県内の11市町村を含め、8県100市町村の作業で投入された作業員の延べ人数は約3200万人、計上された国費は約2兆9000億円に上る。

2017年度からは、「帰還困難区域」の一部での除染作業が始まり、さらに、これまでの作業で「仮置き場」にためられた膨大な廃棄物の運搬・処理という作業も残っている。

JR常磐線の双葉駅では新駅舎の建設が始まっていた(撮影:鈴木毅)

フクイチから直線で4キロほどの距離にある、双葉町のJR常磐線・双葉駅。9月下旬に訪ねると、町のシンボルである駅舎のからくり時計は、今も東日本大震災があった午後2時46分を指したまま、止まっていた。

原発事故以降、「帰還困難区域」に指定されて無人となったこの町で、この日はトラックやダンプカーがひっきりなしに走っていた。駅舎では大きな重機がうなりをあげている。「こっちだよ」と作業員の大きな声が響く。これまで「死の街」だった双葉町に、不思議な活気が戻りつつあった。

作業現場では必ず放射線量が計測されている(撮影:横関一浩)

JR双葉駅から延びる目抜き通りでも除染と家屋の解体が進む(撮影:横関一浩)

一時帰宅中の住民が説明してくれた。

「国の『特定復興再生拠点』の事業で、双葉町の一部をモデル地区として徹底的に除染し、住民を帰還させる計画があるそうです。『復興五輪』を掲げる2020年東京五輪に合わせた動きです。同年春には、一部不通になったままのJR常磐線を全線開通させる計画で、いま双葉駅の新駅舎の建設が急ピッチで進められているのです。もちろん、今、住んでいる人はいません。除染してもどれだけ帰ってくるのか……」

町中では、震災直後からそのままになっている家屋の解体作業と除染作業が進められていた。町の外れには、3カ月前にはなかった新たな「中間貯蔵施設」が姿を現していた。除染作業で削り取られた汚染土や草木などの廃棄物を詰めた二重構造の「黒い袋」(フレコンバッグ)が、うずたかく積み上げられている。「30年以内」とされる最終処分までの間、ここで管理・保管されるのだ。

双葉町に現れた「中間貯蔵施設」に積まれたフレコンバッグ(撮影:横関一浩)

熊本地震や西日本豪雨災害にも

除染作業を請け負う地元建設会社の役員が、安堵した様子でこう話す。

「除染作業が一段落して、仕事がなくなるのかと不安でしたが、次に回ってきたのが帰還困難区域の家屋の解体や除染です。これまでの作業員をそのまま回して対応しています。会社の経営もおかげでなんとかやっていけています」

誰にでもできる単純作業だというが、問題は人集めだという。

「除染作業員に元ヤクザや元受刑者が多くいるというのは、ゼネコンの担当者も分かっています。表向きは暴力団関係者は厳禁だとか言っていますが、現場は常に人手不足で、真面目にやってくれさえすれば、何も言いません。うちも夕食時に『小指のないやつ、手を挙げろ』と言ったら、半分くらい手が挙がったほどです。元刑務官の除染作業員がいたんですが、『風呂に入ったら入れ墨ばかりで、ここは刑務所の風呂かと頭がクラクラした』と驚いていました」

町のあちこちで解体が進む(撮影:横関一浩)

実際、作業員を募集する側からすれば、「暴力団関係者かどうかを気にしていたら人は集まらない」という切羽詰まった事情がある。別の建設会社役員が、採用手順を教えてくれた。

「まず募集をかけて応募があると面接。そこで一応、暴力団関係者かどうかチェックします。指があるかないか、それが判断基準。ただ、(指が)ない人でも真面目そうだったり、『やめて10年になります』などと言い、履歴書で前に勤めていた会社などがはっきりしていれば雇います。とにかく人手がないですからね」

それから本人が電離放射線健康診断(電離健診)を受け、診断書を持って元請けのゼネコンなどの採用担当者のところへ行く。そこで簡単な面接があって新人教育を1日受けて、翌日から作業に入る、という流れだ。

最近では、こんなケースもある。山口組系の元組員で、覚せい剤絡みの事件などで2回服役していた渡辺真治さん(仮名)は、数年続けていた除染作業員を今年6月に辞め、現在は熊本地震の復興作業員として現地に行っている。

「最近は、ほかの災害の復旧工事に流れる傾向がありますね。福島は警察の警備が厳しく、職務質問も頻繁ですから。今年も西日本豪雨災害があったから、ますますそちらに流れるんじゃないでしょうか」

無人の町を大型トラックが行き来していた(撮影:横関一浩)

「頑張るヤツが原発を支えている」

冒頭の岸田さんは今、仕事にやりがいを感じている。

人生で初めて社会保険や年金の掛け金も支払うようになった。日々の作業で技能も身についた。溶接、クレーン、配管、玉掛け、足場などの専門的な資格も取得した。「資格試験には当然、ペーパーテストもあります。机の上でテストに向かったのは30年ぶりでしたよ」と苦笑する。

「ヤクザをやめても突っ張っていた時期はあった」と振り返る(撮影:横関一浩)

「今、人生で初めてまともに働いています。目標を持って結果を出すことは、やってみれば楽しい。自分はヤクザに戻るつもりはありません。自分を始め、周りにヤクザだった人間はいますが、それでも真面目にやれば、こうやって原発の復旧を末端で支えていける。過去がなんであれ、頑張るヤツが原発を支えているのです」

世間は厳しいが、その分、ちゃんと働けば報酬がある。働き方で評価が変わる。それはとてもやりがいがある、と岸田さんは言う。そして、こう続けた。

「元ヤクザの過去は消せませんが……できればもうちょっと手に職をつけて、いつか自分で事業を起こしたいと考えています」

(撮影:横関一浩)


今西憲之(いまにし・のりゆき)
ジャーナリスト。1966年、大阪府生まれ。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。著書に『内部告発 権力者に弓を引いた三人の男たち』(鹿砦社)、『私は無実です 検察と闘った厚労省官僚 村木厚子の445日』『福島原発の真実 最高幹部の独白』(ともに朝日新聞出版)など。

鈴木毅(すずき・つよし)
1972年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒、同大学院政策・メディア研究科修了後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長、「AERA」副編集長、朝日新聞経済部などを経て、2016年12月に株式会社POWER NEWSを設立。


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【2018/11/30 19:55 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
「三菱が新しい航空機を開発することなど不可能である ❣」というお話

「三菱が新しい航空機を開発することなど不可能である ❣」というお話ここ をクリック emoji)に記載の通り、

三菱重工には、新しい航空機を開発する力はない

三菱重工は、日本が総力を挙げて開発した、YS-11の生産を引き継ぎ、

YS-11を生産した経験はあるが、

YS-11は、第二次世界大戦に敗れて、進駐してきたGHQに、航空機製造を禁じられて以降、

当時の通産省が主導して、国を挙げて開発した、YS-11の製造を引き継いだ経験があるだけだ ❣

だが、頭が悪い、ブラック企業である、極悪犯罪企業 三菱重工のバカどもは、

これを、勘違いして、自社が、YS-11を開発したと思い込む

そして、

「YS-11の肺活以降、長い年月が経過していたので、

気づかないことが多々あった。」

とほざく。

これに対し、

有能な経営者と、

有能なエンジニアを多数抱える、ホンダは、

本田宗一郎の空への夢を実現すべく、

長期戦略を立てて、

一つ一つ、階段を上るがごとき、

地道な技術の構築を進めて来た ❣

その集大成が、

ホンダジェットだ ❣

この様に、有能な経営陣に拠る、

長期戦略の元、

地道な技術館発を続けて来た歴史があるからこそ、

ホンダジェットと言う、

世界有数の小型ジェット機が開発できた ❣

ところが

佃和夫の如き道無能なバカでも社長になることが出来るほど、

無知無能な経営者しかいなかった、

ブッラク企業である、極悪犯罪企業には、

ミスターコストダウンと称された、バカ経営者、相川賢太郎 が、

三菱重工の製造現場の社員のやる気を徹底的に破壊した ❣

ミスターコストダウンと称された、バカ経営者、相川賢太郎 は、

バカとブスこそ東大に行け❣ここ をクリック emoji)の、バカとブスの吹き溜まり、東大 の法学部卒である ❣

バカとブスこそ東大に行け❣ここ をクリック emoji)の、バカとブスの吹き溜まり、東大 の法学部卒である、バカ経営者、相川賢太郎 に、

赤字確実のプロジェクトを100%黒字化するような名案を出すことは不可能だ ❣

だから、

ミスターコストダウンと称された、バカ経営者、相川賢太郎 は、

プロジェクトの赤字を下請け企業に、押し付けた ❣

簡単に言えば、

コスト以下の、非常に低価格の金額 で、下請け企業に発注することで、

プロジェクトの赤字を黒字化した ❣

すると、
プロジェクトを赤字金額で押し付けられた、下請け企業は、

プロジェクトの担当者にクレームを出す ❣

それだけでなく

バカ経営者、相川賢太郎 は、プロジェクトの担当者に、

プロジェクトの黒字化を厳命した ❣

これに拠り、

プロジェクトの担当者は、下請け企業からのクレームと

バカ経営者、相川賢太郎 の、愚かなる厳命の板挟みになり、

愛社精神を完全に喪失した ❣

このように簡単な事実は、

天才である私が見ると、すぐに解る ❣

事実、

バカ経営者、相川賢太郎 の後を継いだ、西岡喬が、現場を見て回り、

現場の士気の低下に驚いたと証言している ❣

この為、

西岡喬は、現場の従業員の士気の向上を願って、ジェット機開発と言う無謀な博打に手を出す羽目に陥った ❣

この様に、後は知らない

自分の手柄を立てることしか考えなかった、バカ経営者、相川賢太郎 の、愚かなる経営実態の結果、

ブラック企業 である、極悪犯罪企業 三菱重工 は、企業破滅への坂道を転がり堕ちることになった ❣

そして、






相川賢太郎 くらいのモノでしょう ❣

事実、


相川賢太郎 の後を引き継いだ、西岡喬 が、

製造現場を視察すると、

製造現場の社員の士気の低下に驚愕したとある ❣





相川賢太郎 くらいのモノでしょう ❣

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【2018/11/29 19:02 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
「トランプ氏自賛に会場失笑」から始まるお話 ❣

私のSeesaaブログ 人間万事塞翁が馬_new に投稿した記事「新興国アンフェア-・スピリット・オーソリティー(USA)のトランプのジョーカが失笑されたお話 ❣」(ここ をクリック emoji)に貼った動画が削除された事実 に気付いたので、
急いで、上記動画(削除された動画)に係わる記事 を探して、下記に転記します ❣

---転記始まり---
トランプ氏自賛に会場失笑=「米史上最も多くを達成」-国連総会

 【ニューヨーク時事】「米史上最も多くを成し遂げた」。トランプ米大統領が25日、国連総会の一般討論演説で、自身の政権の成果をこう自賛すると、居並ぶ各国指導者らから失笑が漏れる一幕があった。


対北朝鮮で成果誇示=「非核化まで制裁維持」も-トランプ米大統領が国連演説

 演壇に上がったトランプ氏は冒頭、「わが政権が達成した並外れた進歩を共有する」と高らかに宣言。「この2年足らずの間、わが政権は米国史上のほぼ全ての政権よりも多くのことを成し遂げた」と言葉を継いだ瞬間、会場から笑いが起きた。
 トランプ氏は支持者らを前にした国内の選挙集会で幾度となく同じフレーズを使い、喝采を浴びてきた。それだけに、「このような反応は予期していなかった」と思いがけない仕打ちに顔を引きつらせつつ、「まあ構わない」と無理やり笑みを作った。
 トランプ氏はこれまで、「米国は世界の笑いものになっている」と主張し、米国が通商問題などで他国にいいように利用されてきた現状を変えると訴えてきた。だが、自らが笑われる事態になるとは予想できなかったようだ。(2018/09/26-06:37)

---転記終わり---
   ・転記元「トランプ氏自賛に会場失笑」(ここ をクリック emoji


---転記始まり---
ハリケーン「マイケル」米上陸 「地獄のような」規模で被害拡大
Storm damage in Panama City, Florida. Photo: 10 October 2018Image copyright AFP/Getty Images

大型ハリケーン「マイケル」が現地時間10日午後(日本時間11日未明)、米南部フロリダ州北西部に上陸した。同地域を直撃したハリケーンとしては史上最大の規模で、湾岸部の都市は冠水し、家屋の浸水被害や倒木が起きている。

ハリケーン・マイケルは一時、勢力が5段階中2番目に強い「カテゴリー4」まで発達。10日午後、米フロリダ州北西部のパンハンドルと呼ばれる地域に上陸した。

フロリダ州当局は、住民1人が倒木により死亡したと発表した。

予想を裏切る速さで発達したマイケルはハリケーンとして勢力を保ったまま陸上を移動しており、アラバマ州やジョージア州にも被害を及ぼす見込み。

メキシコ湾の例年になく暖かい水温が後押しし、熱帯低気圧は7日にハリケーンへと変わった。

9日までにハリケーンはカテゴリー2へと発達。10日朝には風速が毎時約249キロに達し、最も勢力の強いカテゴリー5となるぎりぎりまで成長した。

フロリダ州のリック・スコット知事は、マイケルが過去100年で最悪の嵐になるだろうと述べ、「想像を絶する破壊」を警告した。

複数情報によるとマイケルは、少なくともホンジュラスで6人、ニカラグアで4人、エルサルバドルで3人と合計13人の死者を出している。

フロリダの住民37万人以上に避難指示が出されたが、大勢が警告を無視したと当局はみている。

A damaged home is seen after hurricane Michael passed through Panama City, FloridaImage copyright Getty Images

湾岸部の都市アパラチコーラでは、嵐により2.5メートル近くの高波がみられたという。

フロリダ州パナマシティビーチの自宅で、妻と共に嵐を乗り切ったティモシー・トーマスさんはAP通信に対し、「地獄のような目に遭っている」と話した。

このハリケーンによる倒木で送電網が破壊され、既に25万戸の家や企業が停電になっている。

マイアミに拠点を置く米国立ハリケーンセンター(NHC)の気象学者デニス・フェルトゲン氏はフェイスブックに、「これは新しい領域だ」と書いた。

「歴史的な記録を1851年までさかのぼっても、フロリダのパンハンドルをカテゴリー4のハリケーンが襲った例はない」

ロイター通信によると、マイケルは米国本土に上陸したハリケーンで史上3番目に強いという。過去には1969年にハリケーン「カミール」がミシシッピ州に、1935年に「レイバー・デイ・ハリケーン」がフロリダ州に上陸している。

米連邦緊急事態管理庁(FEMA)のブロック・ロング長官はホワイトハウスでドナルド・トランプ米大統領に対して、今回ほどの強風に耐えられそうにない2001年以前に建てられた建物について特に心配していると述べた。

これに対しトランプ大統領は、「持ちこたえられよう願うしかない。もし無理なら、中に人がいないよう期待する」と返答した。

Palm trees are seen during a Hurricane Michael in Panama City, FloridaImage copyright Reuters
Presentational white space

フロリダ州、アラバマ州、ジョージア州、ノースカロライナ州の全域に、非常事態宣言が発令されている。

NHCによると、ハリケーン・マイケルは現地時間10日午後2時(日本時間11日未明)にフロリダ州メキシコビーチ付近に上陸した。

気象予報士らは、嵐によりフロリダ各地で最高4メートルの高波、最高30センチの鉄砲水が観測される可能性があると警告している。

同地域の学校と公的機関の閉鎖は今週いっぱい続く予定。

フロリダ州は州兵3500人に出動を命じた。

NHCはウェブサイト上の報告で、現地時間10日午後9時時点で最大風速が毎時約145キロまで減速したと述べた。

「マイケルは徐々に勢力を弱めながら11日夜にかけて米国南東部を横断する。11日朝までには熱帯性暴風雨に変わると予測している」「11日夜か12日にマイケルは米国の東岸を抜け、再度勢力を強める予想となっている。12日には温帯低気圧になる見込みだ」とNHCは発表した。

米国立気象局は、長さ480キロ以上の海岸線が危険にさらされていると述べた。

ハリケーン・マイケルの予想進路
Image caption ハリケーン・マイケルの予想進路

(英語記事 Hurricane Michael: Record-breaking 'hell' storm mauls US

---転記終わり---
   ・転記元「ハリケーン マイケル 米上陸 地獄のような 規模で被害拡大」(ここ をクリック emoji



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【2018/11/28 21:01 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
昔人の物語(36) 一休宗純『狂雲集』は読んではいけません(転記記事)

---転記始め---

昔人の物語(36) 一休宗純『狂雲集』は読んではいけません

昔人の物語 一休宗純『狂雲集』は読んではいけません

(1)とりあえず

 一休宗純(1394〜1481年)は、室町時代の臨済宗大徳寺の僧である。

 日本の禅宗は、鎌倉時代に、栄西が臨済宗、道元が曹洞宗をもたらした。江戸時代に隠元が黄檗宗を伝えた。曹洞宗は地方豪族や一般庶民に広がったのに対して、臨済宗は鎌倉・室町の武家政権に支持・保護され、五山十刹の制度が制定された。五山十刹の制度とは、寺院の格付で、最上位が五山、次が十刹、その下が諸山・林下となる。時の権力者の意向でランクに変更があった。一休の頃の大徳寺は五山に入っておらず、十刹のランクの第9番目であった。つまり、大徳寺は、下位ランクにあった。

 室町時代にあっては、漢文学を中心に水墨画、能、建築、庭園、生け花、茶の湯などの「五山文化」が栄えた。一休の『狂雲集』は漢詩集(ほとんど七言絶句)である。したがって、当時の漢文学の教養がないと、面白みが理解できないことが多い。

 ということは、漢文学の深い教養があると、『狂雲集』の面白みがわかるということである。しかも、思わずニタニタとスケベ顔になる面白みである。『狂雲集』の全作品が色物ではないが、全編を通じて色物がにじんでいることは確かで、後半になると、色物なんておとなしい表現ではなく、ずばり、ポルノ漢詩と言って憚らないものが数多くある。

 したがって、臨済宗大徳寺派では、大徳寺再建の大功労者である一休の『狂雲集』を読むことは禁止されていた。それどころか、『狂雲集』の存在すら口に出してはいけないという雰囲気だった。そうなると、逆に、こっそりと読みたくなるものである。

 読むと、何と申しましょうか、一種のカルチャー・ショックを覚える。名僧・高僧の誉れ高い一休宗純が、実は、エロ一休だったのか、スケベ坊主だったのか……。

 このギャップを埋めるために、次のような解説がなされる。

 一休と同時代の人々は、常識を超越した一休の行動と作品に、何かしら畏敬の感情を抱いていたのであろう。

 あるいは、

 一休の型破りの「風狂」は、人間の根源的な有り様を追及し、人間の原点を問うものであった。

 一休の真の姿は、戒律を木端微塵に破る「破戒僧」である。肉を食べ、酒を飲み、女を抱く。それは一休が到達した「悟り」の姿である。

 あるいは、

 一休は庶民の中に生き、形にとらわれず、あるがままに生きたのである。

 とかなんとか解説して、やっぱり、一休さんは大したものだ、と結論づける。

(2)一休の生涯

➀御落胤かも

 後小松天皇は北朝第6代天皇(在位1382〜1392年)であったが、1392年に南北朝合一によって、第100代天皇(在位1392〜1412年)となった。

 一休は、後小松天皇の御落胤、母は南朝遺臣の女と言われている。骨でも残っていればDNA鑑定が可能かも知れないが、真相は不明である。でも、当時の人々は、御落胤の噂を承知していた。

 真相は不明だが、南朝遺臣の女が妊娠したとなると、せっかく南北朝合一で北朝優位が確立したのに、南朝伸長に繋がるかもしれないということで、母は後宮を追われ、嵯峨野の民家で一休を生む。

②5歳で出家、そして悩む

 母は5歳の一休を臨済宗の安国寺に入れて出家させる。安国寺は五山の下の「十刹」の寺である。

 足利幕府は臨済宗を五山十刹の制度で手厚く保護・管理していた。つまり、世俗権力が支配していたのである。しかも、莫大な利益をもたらす中国貿易には中国語・中国文化のスペシャリスト(五山文化の担い手)である臨済宗の僧侶が通訳兼コンサルタントとして深く関わっていた。「世俗権力プラスお金」となれば、必然的に、臨済宗内部は金・金ピカ・豪華・華美が蔓延し、金によって地位と名誉が決まるという堕落状態になる。

 青年修行僧一休は、すでに漢詩の分野で天才との評価があった。天才は臨済宗の堕落にも敏感である。はたして臨済宗の修行の先に悟りはあるか?

③謙翁宗為(けんおうそうい)との出会い、そして自殺

迷いの中、ボロ衣・ボロ寺の貧窮にあってもひたすら仏道に邁進している謙翁宗為(?〜1415年)と出会う。一休は謙翁宗為を生涯の師と決め、師と同じく貧窮に身を置いて修行する。20歳の時、師は「私の法財は全部あたえた」と言って、「宗純」という名を贈った。決意も新たに仏道修行に邁進したが、翌年、謙翁宗為は亡くなってしまう。葬儀をする金もなく、なんとか葬儀らしきことをして茫然自失でふらふら歩く。そして、瀬田川(淀川の上流)へ身を投げようとした。

④華叟宗曇(かそうそうどん)との出会い、そしてカラスの悟り

 謙翁宗為の死から1年、一休は大徳寺の高僧、華叟宗曇(?〜1428年)と出会う。叟宗曇も極貧の僧であった。1420年、27歳の時、琵琶湖の岸で座禅を組んでいた。辺りは真っ暗である。一羽のカラスがカァと鳴いた。その瞬間、一休は悟りを開く。

 何のこっちゃ? 一応、説明しておきます。

 暗闇の中、カラスは黒いので、いるのか、いないのか、わからない。しかし、カァの鳴き声で、目には見えないが間違いなくカラスは存在していた。仏、仏性は目に見えない。あるのか、ないのか、わからない。しかし、間違いなく仏、仏性は存在する。どこに存在しているのか。自分の心の中に存在している。自分の心のままに生きる、すなわち仏、仏性のまま生きる……こんな程度の説明でご勘弁を。

⑤風狂の破戒僧が行く

 大徳寺は五山文化から距離を置いている在野の坐禅中心の臨済宗寺院であるが、それでも、法要では僧侶はみなピカピカ一張羅の正装である。しかし、一休だけは、ボロ衣、頭もきれいに剃っていない。一般常識では、無作法、礼儀知らずということなのだが、一休にしてみれば、「第一印象関係なし、見た目関係なし」である。

 なお、その頃の大徳寺の住職は一休の兄弟子にあたる「養叟」であった。叟宗曇と一休は大徳寺から離れたボロ寺で貧困の中、厳しい修行をしていたが、叟は大徳寺でヌクヌクとした生活で、禅宗商売の金儲けに走っていた。叟と一休は犬猿の仲だった。

 京でも、近畿一帯の旅でも、風変わりな奇抜な僧として話題になっていく。一休は話題になるようなパフォーマンスも上手だった。たとえば、正月に都の大路で髑髏を杖にのせて「ご用心、ご用心」と叫び闊歩する(その意味は省略)。パフォーマンスだけでなく、女郎屋で、誰憚ることなく、肉を喰らい、酒を飲み、女を抱くのだから、有名になるのは当然である。大衆は、きらびやかな高僧も秘密で同種の破戒をしていることを知っている。偽善者じゃない、ボロ衣の破戒僧一休こそ、本物の僧かも……と人気が高まっていった。

⑥応仁の乱

 南北朝合一(1392年)と応仁の乱(1467〜1477年)の間は、なんとなく平和な時代と思われているが、源平合戦から江戸幕府成立までの約400年間の武士の時代とは基本的に合戦時代、「切り取り強盗は武士の習い」である。したがって、京の市中は、強盗続出、乞食・浮浪者・放置死体は日常光景であった。しかしながら、貧しき者、弱き者を救うべき僧侶、とりわけ臨済宗僧侶は五山文化へ傾斜するばかりであった。

 そして、応仁の乱。京の寺社、公家・武家の邸宅は大半が焼失した。日本史上初登場した足軽組織は略奪・強姦・放火のやり放題、疫病も流行。それにもかかわらず、将軍足利義政は連日連夜の酒池肉林、正室の日野富子は応仁の乱勃発の原因者でありながら、東西両軍に金を貸したり、米を買い占めたり、関所を設けて通行料を取ったり、賄賂を貰ったり、さながら守銭奴・死の商人として莫大な資産を築く。

 デタラメな政治に対して、一休は幕政への批判者としても有名だった。『狂雲集』にも幕政批判の漢詩がある。

 なお蛇足ながら、日本三大悪女とは、日野富子、北条政子、淀君(または春日局)を言うようだ。北条政子、淀君(または春日局)を悪女と決めつけることに抵抗感を持つ人でも、日野富子は悪女ナンバーワンと評する。しかし、浪費だけが取り柄の足利義政の正室としては、稼がなければならない立場にあったことも確かだ。

⑦大徳寺再建

 応仁の乱によって、京都は地獄になった。大徳寺も焼失した。大徳寺は後醍醐天皇の頃は京都五山よりも上位にランクされる最高別格寺院であった。しかし、足利幕府が確立すると後醍醐天皇と関係が深かった大徳寺の格づけランクは急低下して、五山の下に位置する十刹となった。しかも、十刹の中の第9位である。そのため、大徳寺は足利幕府の保護・支援・管理を離れ、独自の道を歩んだ。五山文化に傾斜するのではなく、座禅修行に邁進する道をとったのだ。その結果、大徳寺は人々の信頼を獲得した。人々の心の中には、「幕府が大徳寺を軽視したから京都が生き地獄になった」「大徳寺再建が平和と京都の復活に必須」という感覚が強まった。

 御土御門天皇(1442〜1500年、在位1464〜1500年)は、不倫密通スキャンダル、将軍足利義政の連日連夜の宴会の常連メンバーというマイナス評価も多いが、敬虔な仏教徒であったことは間違いない。ついでに言えば、後土御門天皇の崩御に際して、皇室は完全に金欠で葬儀の費用もなく、御所に40日間遺体が置かれたままだった。

 1474年、後土御門天皇は一休(この時80歳)に大徳寺の住職になるよう勅命が下る。それは、焼失した大徳寺再建の命令でもあった。一休は地位や名誉を拒否する生き方をしてきたので、やや悩んだようだが、承諾した。再建資金の献金依頼のため京都・堺を訪ねた。皆、「一休の依頼ならば」と引き受けてくれた。そして、1479年、大徳寺の仏殿が再建された。

 しかし、一休は大徳寺に住まわず、都の外れの小さな庵(現在の一休寺)に住み、そこから大徳寺へ通った。大徳寺再建の2年後、一休宗純は87歳で永眠した。

⑧森侍者(しんじしゃ)

 盲目の美女である。一休は77歳で「森女」(年齢20代)と出会い、臨終まで同棲ラブラブの関係にあった。森侍者の素性は不明で、大別して2説あるようだ。ひとつは、盲目の旅芸人で一休がその境遇に同情して妾にした。もうひとつの説は、一休と同じく南朝系の血筋の女性であり、住吉神宮の巫女だった。そして、一休を大徳寺住職に承知させる目的があった、というもの。いずれにしろ、2人は同棲ラブラブであった。

(3)『狂雲集』

 『狂雲集』に収められている漢詩の数は、写本によって、約300首、約550首、約1060首ある。その中で、読んではいけないものが数々あるが、いくつかを適当に紹介しましょう。 

 一生受用する米銭の吟

 恥辱無知にして万金を攫(つか)む

 勇色美尼 惧(ぐ)に混雑

 陽春の白雪 また 哇音(はくおん)

 (坊主は)一生使う米銭なんぞ鼻歌みたいなもので苦労しない。

 恥をかいて無知を承知していれば大金をつかむことができる。

 男色を遊び、美しい尼さんとも、乱交する。

 陽春の白雪がピチャ、ピチャと音をたてるように、ハァハァとあえぐ気持ちよい声。

 ※この漢詩は、当時の仏教界を批判したものですが、露骨、辛辣ですな。 

 美人の婬水を吸う

 蜜に啓し自ら慚(はじ)ず、私語の盟

 風流の吟を罷(や)めて、三生を約す

 生身堕在す、畜生道

 潙山(いさん)戴角の情を、超越す 

 美人とは森侍者のことである。

 内緒ながら口に出てしまった、恥ずかしながら、2人だけの誓い。

 詩を読むのも止めて、三度生まれ変わっても愛するという永遠の誓い。

 生きた肉体が堕落して溺れる畜生道。

 潙山なる高僧は「自分の来世は牛に生まれかわる」と予言したが、そんな予言なんかよりも、2人の三生に続く畜生道は、はるかに素晴らしい。 

 婬水

 夢に上苑美人の森に迷うて

 枕上(ちんじょう)の梅花 花信の心

 満口(まんく)の清香 清浅の水

 黄昏の月色 新吟を奈(いかん) 

 夢で、すばらしい美人のいる森に迷いこんだ。

 枕の上の梅の花のたよりが、そうさせたのだろう。

 口いっぱいに清い香がする、清い浅瀬の水を含む。

 たそがれの月の色のようだ。俺の思考能力は麻痺して、この感動を表す新しい愛の詩を、何と歌ってよいのかわからない。 

 美人の陰(おん)、水仙花の香有り

 楚(そ)台(だい)応(まさ)に望むべし、更に応に攀(よ)ずべし

 半夜、玉床、愁夢の間

 花は綻(ほころ)ぶ、梅樹の下

 凌波仙子(りょうはせんし)、腰間を遶(めぐ)る 

 美人(森侍者)の股間に水仙花の香が匂う

 楚王の楼代をながめて、それにまさに登ろうとした。

 その夢は、夜半のことで、夫婦のベッドであった。

 梅の花のつぼみがふくらみはじめた梅の木の下なのに

(凌波仙子とは、『三国志』の曹操の子である曹植の詩に出てくる仙女で、波の上を渡る。転じて水仙の花を意味する)。水仙の花の香が腰のあたりに溢れている。 

 まぁ、『狂雲集』には、こんな調子の漢詩が結構な数があります。「仏法とは何か」なんて、難しいことは考えないで、ニタニタすれば一休も喜ぶと思う。

(4)付録「婆子焼庵」、禅問答不可解なり

 禅宗、とりわけ臨済宗では「公案」が重要ですが、俗に「禅問答」と言われるように、不思議な問題ばかりです。公案集に『碧巌録』という本があり、その中に「婆子焼庵」というのがあります。公案の中でも、色っぽい内容なので、有名なものです。一休も、この公案に取り組んでいます。

 ある老婆がひとりの修行僧のために庵を建てて、何かとお世話していました。20年たって、老婆は「修行も相当進んだであろう、かなり高い境地になったであろう」と思い、テストを試みました。娘に「あのお坊さんに抱きついて、誘惑してみなさい」と言いつけます。娘が誘惑しても、その修行僧は少しも動揺することなく、「枯木寒厳に倚(よ)って、三冬暖気なし」と言い放った。つまり、「私は寒い厳しい冬の枯木で、暖気(女)に興味なし」と言って娘を退けた。

 老婆は娘の報告を聞いて「20年間も修行のお世話をしたのに、そんなレベルなのか」とカンカンに怒り、修行僧を追いだした。さらに老婆は庵も燃やしてしまった。

 さぁ、あなたなら娘に抱きつかれたら、どうする? さぁどうする?

 この公案に対する一休の『狂雲集』の漢詩回答は、次のものです。時期は森侍者との関係が始まっている頃です。 

 老婆心、賊の為に梯(かけはし)を通して、

 清浄の沙門に女妻を与う。

 今夜美人、若(も)し我を約せば、

 枯楊 春老いて、更に稗(新芽)を生ぜしめん。 

 老婆(お節介心)が、盗人のために梯子をかけるように

 清らかな修行僧に女を与えた。

 今夜、私に美人を与えると約束してくれるなら、

 枯れた楊(よう=やなぎ)も春が来て、新芽も出るよ。 

「俺なら元気になっちゃうな〜」って感じかな。ただし、理屈をこねれば、「美人」⇒「森侍者」⇒「悟りの境地」ということになるのかな。 

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太田哲二(おおたてつじ)

中央大学法学部・大学院卒。杉並区議会議員を8期務める傍ら著述業をこなす。お金と福祉の勉強会代表。「世帯分離」で家計を守る(中央経済社)など著書多数。

---転記終わり---
   ・「昔人の物語(36) 一休宗純『狂雲集』は読んではいけません」(ここ をクリック emoji

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