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かつてのアメリカは捕鯨国であった。世界中の海で捕鯨を繰り広げた。そのアメリカが、自国は捕鯨の必要が無くなったので、国際捕鯨委員会で、反捕鯨を主張し始めた。こんな馬鹿なことがあるか?アメリカ人であるハーマン・メルヴィルが書いたは「白鯨」と言う小説がある。『白鯨』
何故、アメリカが世界の海で捕鯨を繰り広げたか?その理由は・・・ 当時の欧米は産産業革命によって、オフィスも工場も夜間作業を行うようになった。夜間作業をするためには照明が必要だ。此処にミソがある。当時は未だ、エジソンは生まれていないから電球などはない。夜間も稼動を続ける工場やオフィスのランプの灯火として、主にマッコウクジラの鯨油を使用していた。 この為、欧米はこぞって鯨を獲って鯨油を集めた。欧米人は鯨を食べないから、鯨油を撮るだけで、肉は捨てた。まさに乱獲もいいところである。しかし、夜間照明のためのランプの燃料は何としても手に入れなくてはならない。だから、太平洋でも盛んに「捕鯨」を行っていた。アメリカ西海岸の港を出港し捕鯨船は日本近海でも盛んに捕鯨を繰り広げていた。 ここで問題がある。当時の捕鯨船は現代の船のようには大きくない。例えば、日本が南氷洋で行った捕鯨は大きな母船があり、これと捕鯨船が捕鯨船団を構成していた。捕鯨船は小さかったが、燃料や食料が無くなれば、母船から、燃料も食料も補給できた。だから、小さな捕鯨船でも何ヶ月もの間、南氷洋で捕鯨を続けることができた。 しかし、江戸時代末の捕鯨船はこれほど大きくはない。だから、日本近海で捕鯨を繰り広げた捕鯨船の食料と燃料の補充港が必要になる。だから、アメリカは日本に開港を迫ったのだ。 開国ではなく開港である。この為、ペリーはアメリカ東海岸のノーフォークを単艦で出港し、大西洋を渡って、ヨーロッパの着くと、今度はアフリカ大陸を南下し、南アフリカのケープタウンを周り、アフリカ大陸を北上してインド洋のモーリシャス、セイロン、シンガポール、マカオ・香港を経て、上海に到着した。 香港でプリマス及びサプライと合流、上海で蒸気フリゲートサスケハナと合流した。そして、上海を出港したペリーは琉球王国(薩摩藩影響下にある)の那覇沖に停泊した後、まだ領有のはっきりしない小笠原諸島を探検した。このとき、ペリーは小笠原の領有を宣言したが、即座に英国から抗議を受け、ロシア船も抗議のために小笠原近海へ南下したため、宣言はうやむやになった。ペリーは一度琉球へ帰還し、再び艦隊の一部を残したまま、7月2日に3隻を率いて日本へ出航して浦賀にやってきた。 嘉永6年6月3日(1853年7月8日)に浦賀沖に現れ日本人が初めて見た艦は、それまで訪れていたロシア海軍やイギリス海軍の帆船とは違うものであった。黒塗りの船体の外輪船は、帆以外に外輪と蒸気機関でも航行し、帆船を1艦ずつ曳航しながら煙突からはもうもうと煙を上げていた。その様子から、日本人は「黒船」と呼んだ。 このように、黒船は太平洋を横断してきたのではなく、地球を半周以上する長旅の末に浦賀に来たのだ。しかも、二度もやってきた。これ程の労苦をかけても欲しかったのが港である。 それは、捕鯨船の補給港であり、嵐などの際の緊急避難港である。これが、ペリー来航の真の目的であった。つまり、ペリー来航の目的は捕鯨であった。 しかし、現代は誰も夜間照明に鯨油を燃料とするランプなど使わない。すると、アメリカは反捕鯨を主張し始めた。これは何というアンフェアなことか!こんなアンフェアを許すな! シーシェパードがイルカを殺す場面を隠し撮りしてインターネットに公開した。シーシェパードは「イルカを殺すことは悪いことだから隠れて殺すのだろう。」と主張している。ならば、シーシェパードに言ってやれば良い。「アメリカに戻って、食肉用の牛の屠殺現場を隠し撮りしてインターネットで世界中に公表しなさい。」何故、シーシェパードはアメリカの牛の屠殺場に隠しカメラをセットして、牛が殺される状況を世界中に公開しないのか? これほどアンフェアな国があるか? 私が国連で演説をするなら、ここに記載した話を世界中に向けて演説する。そして、最後に「流石アンフェアー・スピリット・オーソリティーである。こんなアンフェアなことができる国はアンフェアー・スピリット・オーソリティー以外には無い。」 「ドゥ・ユー・ラブ・アンフェア?」「オフコース・ユー・ラブ・アンフェア」「コーズ・ユア・カントリー・ネーム・イズ・アンフェア・スピリット・オーソリティー」 どうですか?これで決まりだと思いませんか? PR |
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