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だんだんと寒くなってきました。
この頃になると、多くのブログが取り上げるテーマが「冬のデパートの暖房温度が高すぎる」と言うこと。 しかし、冬のデパートでは、暖房するどころか冷房しているのです。 ですから、お客様から「暖房温度が高すぎる。」というクレームが入ると、デパートの事務部門の人は、暖房ではなく冷房していることなど知らないので、建物を管理している部門の人に、「暖房温度を下げてくれ!」と連絡します。 すると、建物を管理する部門の人は、黙って冷房の設定温度を下げるのです。 これは、明らかに省エネに反します。地球温暖化防止ではなく、地球温暖化推進に貢献する行為です。 ですから、冬のデパートが暖かくても、「暖房温度が高すぎる。」というクレームは出さないで下さい。 また、「冬の満員電車の暖房温度が高すぎる。」というクレームを出す人もいます。 あなたは、小学校の寒い冬の日に、「おしくら饅頭(オシクラマンジュウ)」をした覚えはありませんか? 寒い冬の日、校庭でおしくら饅頭をした後、教室に戻って、すぐにストーブに集まりますか? おしくら饅頭をすると、熱くなって汗をかく。 満員電車の中はおしくら饅頭と同じでしょう? 汗をかくほど暖かいに決まっている。 満員電車で暖房している訳が無い。 理論的にオカシイ! すると、「冬の電車が冷房するはずがない。」とネットに書き込みをする馬鹿がいる。 「論理的、科学的思考力が無い馬鹿はネットの書き込みをするな!!」と言いたいネ。 PR |
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パンアキモトのパンを利用して発展途上国の食糧難解消に協力しませんか? 「救缶鳥プロジェクト」と呼ばれるプロジェクトがあります。 パンアキモトのパンを2年間、非常食として保管する。 まさに、食べ物を大切にする「もったいない」精神が生み出したプロジェクトです。
プロジェクトに協力する人にとっても、2年間、災害時の為の非常食として備蓄していたパンですから、非常食として利用することが無かったアキモトのパンは、目的を果たした後のお役御免のパンです。 まさに、WinWinの関係です。 |
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高倉健さんがお亡くなりになりました。
このニュースで何度も登場した『幸福の黄色いハンカチ』(しあわせのきいろいハンカチ)は、私が大学生の時に上映された映画でした。 大学の友人と一緒に見に行ったことを思い出します。 私は『幸福の黄色いハンカチ』に感動して泣いてしまいました。 その時の友人も私も大学を卒業して就職しました。 彼は、機械工学科の学生で、私は電気工学科の学生でした。科は違ったのですが、彼の実家は私の実家の隣の市だったので、北海道旅行に一緒に出掛けました。 また、彼の実家は自動車修理工場を経営していたので、私が父親に自家用車(新車)をプレゼントする時には、彼のお父さんがカーディーラーを紹介してくれました。 自動車修理工場を経営する彼のお父さんのコネで、少し安く買うことができました。 彼は、機械工学科卒業にも拘らず、電気工学科卒業の私が持っていない電験三種(ここをクリック)を持っている優秀な人間です。 電験三種と呼ばれる資格は、電気工学科を卒業しても簡単には取れない難しい資格なのですが、機械工学科卒の彼は、独学で勉強してをとったのです。凄いです。 彼の勤務先(機械の製造工場)では、元々、外部の電気管理資格を持つ人に工場の電気主任管理者を委託していたらしいのですが、 彼が電験三種の資格を持っていることから、彼が工場の電気主任管理者になれとの社命を受けて、申請をしたところ認められ、今では彼が工場の電気主任管理者になったということです。 彼は、電気主任管理者になっても、追加の手当てを貰えないので嫌になると嘆いていますが、電気工学科卒業者でも簡単には取れない電験三種の試験に合格者した、優秀なやつです。 彼の結婚式に招待されたので、私の結婚式にも招待しました。 もう一人、私の結婚式に招待した大学の同級生は、電気工学科卒業なのですが、大学卒業後、高専の先生になりました。生徒に、電気工事士の受験を勧める時に、自分が資格を持っていないと、説得力が無いので、自分も資格を取ることにした。でも、電気工事士の資格では簡単すぎるので、電験二種の資格を取ったというのです。凄いでしょ! 一般的には、大学(電気工学科)を卒業しても、電験三種を取ることも簡単ではありません。まして、電験二種は三種よりも難しいのです。 スゴイですね! 私だけが置いてきぼりです。 仕方がないので、私はノーベル賞を目指しましょうか! 地球温暖化問題を解決すればノーベル賞を貰えるでしょう!? 大気中の二酸化炭素を削減すれば、ノーベル賞くらい貰えるでしょう? 駄目ですか? |
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暑い夏には水分補給が大切です。
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日本は長い間、脳死を認めなかった。だからこそ、医学が進歩した面もある。 アメリカでは、早くから脳死を認めてきた。だから、脳死状態になると、医師は治療を止めて、臓器を移植用に取り出すことに意思が向かった。 しかし、日本では、長い間脳死が人の死とは認められなかった為、医師は心臓が止まるまで、患者の治療を諦めず、懸命に治療を続けた。 その結果、脳を低温化することで、脳細胞の破壊を止めることができる事実を発見した。 元日本サッカーチームの監督であったオシム監督が脳梗塞になった。オシム氏やオシム氏の周囲の人が、救急車を呼ぶ方法を知らなった為、脳梗塞後、治療を受けるまでかなりの時間がかかったが、兎も角、治療を受けて、回復された。
脳低温治療法については《ここ》をクリックして確認して下さい。 諦めない心が道を開くのです。 地球温暖化問題の解決策も諦めない心が真の地球温暖化問題の解決策を導き出すのです。諦めてしまえば、地球温暖化問題の真の解決策は得られません。 世界中の科学者が、「大気中のCO2を科学的、合理的に削減する方法は無い。」と言っていますが、本当でしょうか? 例えば、縄文式土器があります。 縄文式土器は今から五千年或いは六千年前の時代に作られていた土器のことです。 では、縄文式土器は如何にして焼かれていたのでしょうか? 恐らく、森から拾ってきた木々を燃やして土器を焼いたと考えます。 森で拾った木々を燃やせば、100%間違いなく二酸化炭素を発生します。 縄文時代に続く弥生時代には、弥生式土器を焼いていました。 その後、古墳時代、奈良・飛鳥時代、平安時代、鎌倉時代、室町時代、戦国時代、江戸時代、明治、大正、昭和と続きますが、いずれの時代でも、人々は、土間のカマドで飯を炊き、居間の囲炉裏で暖をとってきました。 そして、土間のカマドや居間の囲炉裏の燃料は里山からとって来た薪でした。 里からからとって来た薪を燃やせば、100%の確率で二酸化炭素が発生します。 簡単に言えば、人類は縄文時代からずっと、二酸化炭素を出し続けてきたのです。 また、福島原発事故の前には、テレビでも、「原子力発電は、太陽光(発電)や風力(発電)と同様、発電時に二酸化炭素を出しません。」と言うコマーシャルを流していました。 このコマーシャルの真意は、「原子力発電を利用して、電化生活を謳歌しても、大気中の二酸化炭素は増えません。」と言うことです。 「今から五千年或いは六千年前の縄文時代から、人類は二酸化炭素を出し続けてきたにも関わらず、原発を利用して、大気中の二酸化炭素を増やさなければ、地球温暖化問題は解決する。」 このような暴論をあなたは信じるのですか?小学生にでも嘘に決まっている。と解るでしょう!! 原発では地球温暖化問題は解決しません。では、地球温暖化問題は解決できないのでしょうか? いえいえ、地球温暖化問題は解決可能です。 何故なら、縄文時代から五千年間或いは六千年間二酸化炭素を出し続けてきたにも係わらず、現在の地球は未だに灼熱地獄にはなっていない。その理由は、現在の地球温暖化問題の原因が、二酸化炭素を出すことではないからです。 問題の原因を正しく解明出来ずに、問題を解決できると思いますか? 原因を正しく解明しなければ、問題は解決出来ません。 地球温暖化問題の真の原因を把握すれば、正しい解決策が見つかります。 正しい地球温暖化問題の解決策を実行すれば、地球温暖化問題は解決可能です。 1970年代の日本では、各地で公害問題が頻発しました。 その時、日本は、公害の原因を解明して、正しい対策を講じた為、公害問題は終焉しました。 地球温暖化問題に関しても、地球温暖化原因を正しく解明して、真の対策を講ずれば、地球温暖化問題も終焉を迎えるでしょう。 朗報です!! 私は、地球温暖化問題の真の原因を突き止めました。それだけでは無く、真の地球温暖化問題の解決策も発明しました。これを特許出願して、特許として認められれば、すぐに実行する。 その時、地球温暖化問題は1970年代に発生した公害問題同様、過去の話になるのです。 最近、良く聞くようになった言葉に「里山」があります。 「里山」について、ウィキペディアで調べました。(その結果を下記に引用します。) 日本では、里山の薪は生活に必要な燃料であった。 この為、一時は、森林伐採が進み、森林破壊は留まるところを知らず、1710年までには本州、四国、九州、北海道南部の森林のうち当時の技術で伐採できるものの大半は失われた。 このような状況を憂慮した徳川幕府は1666年年以降、森林保護政策に乗りだし、森林資源の回復促進と厳格な伐採規制・流通規制をしいた。こうした対策の結果、日本列島の森林資源は回復に転じ、里山の維持可能な利用が実現した。 だが、近世の持続可能な里山利用は近代に入ると3度の危機に瀕した。最初の危機は明治維新前後で、旧体制の瓦解とともに木材の盗伐・乱伐が横行し、里山の森林が急激に失われた。その後、社会の安定とともに里山の植生は一定の回復を見たものの、植生は一定の回復を見たものの、太平洋戦争が始まり物資が欠乏すると再び過度の伐採が行われ、各地に禿げ山が出現した。このときは、軍需物資として大木が次々に供出させられる。戦中・戦後の乱伐からの回復は、1950年に始まる国土緑化運動の成果を待たなければならなかった。 そして3度目の危機が、現在まで続く里山の宅地化・里山の放置である。1955年頃から始まった家庭用燃料の化石燃料化が1975年頃には完全に完了し、家庭用燃料としての薪・木炭は娯楽用途を除きほぼ姿を消していた。また、化学肥料の普及、使役家畜の消滅も里山の経済価値を失った里山は、1960年代に入ると次々に宅地化されて消滅した。中でも大規模なのが千里ニュータウン、高蔵寺ニュータウン、多摩ニュータウン、千葉ニュータウンなどのニュータウン群であった。これら郊外の宅地化は、高度経済成長時代に都市に流入した労働力に住居を供給する為のものだった。宅地化を免れた里山も、利用価値の殆どが失われたことによる植生の変化(極相林化や孟宗竹の侵入による竹林化)、不法投棄される粗大ゴミや産業廃棄物による汚染にさらされている。 ・出典「里山 2歴史」『ウィキペディア フリー百科辞典 日本語版』最終更新2014年5月11日(日)13:34(UTC)[http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8C%E5%B1%B1#.E5.88.A9.E7.94.A8] |


