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宮水の発見( ここ をクリック ![]() 宮水の発見により、灘の酒は 日本を代表する日本酒になったのです ❣ ---転記始め--- 第2巻 日本酒の原料宮水の発見宮水が酒造りに最適の「霊水」として知られるようになったのは、「櫻正宗」の祖・山邑太左衛門の功績によっています。 当時、山邑家は西宮と魚崎で酒を造っていましたが、西宮の蔵のお酒が魚崎の蔵よりも常に優れていました。杜氏・蔵人を入れ替えたり、原料米を同じにしたり、何年もかけていろいろとその原因を調べていましたが、天保11年、西宮の「梅の木井戸」の水を魚崎の酒蔵に運んで仕込んだところ、西宮の蔵と同様の優秀で良質なお酒が得られました。このお酒は江戸でも大評判となり、原因は仕込水にあることが分かり、以後、灘の各酒造家は競って西宮に井戸を求め、仕込水として宮水を使うようになりました。 そのため、西宮に宮水井戸を持たない酒蔵に宮水を売る「水屋」という西宮独特の商売も生まれました。 ---転記終わり--- ・転記元「菊正宗」( ここ をクリック ---転記始め--- 西宮道楽 今津灯台青い空に海と甲子園浜の埋め立て地区が見える今津港の先端にある灯台が今津灯台です。
この灯台は、かつて江戸時代に、西宮で造られたお酒を東へ運ぶ樽廻船などが出入りし賑わっていた今津の港の一角に建てられていた木造灯台です。 元々今津の酒造家「大関」の醸造元、長部家五代目の長兵衛によって1810年(文化7年)に建てられたものが起源で、「今津港に出入りする樽廻船や漁船の安全への願い」が込められていました。 その後、六代文次郎によって再建されたものが、現在の今津灯台の原型となっています。 現在は西宮市の文化財に指定され、かつて栄えた今津の港町の象徴として、たくさんの人々の深い親しみを感じさせながら、海を見守り続けています。 (参考 今津灯台案内板より) 灯台の周辺は現在は埋立地や新興住宅などでひしめいています。
とはいえ、ここから樽廻船などが出航していた歴史を感じることもできます。 夕暮れ時になると、ここからほのかな光を灯して、海を静かに見守るそうです。
今津灯台
住所 兵庫県西宮市今津西浜町 電話 0798-33-1298 (西宮市教育委員会文化財課) <アクセス> 阪神久寿川駅下車。南西へ徒歩約15分。 ☆ 編 集 後 記 ★灯台のイメージって、なんだか大きなコンクリート製の建物を連想しますね。
ところがこの今津の灯台は・・・ちっちゃい!って思ったのが正直な感想です(笑) 実は筆者、記憶のうちに灯台を間近で見たのはここが初めてです! (海とは縁もゆかりもない鹿の国奈良の出身ですからね!) 初めて間近で拝見できる灯台が、この木造で小さな今津灯台になったのはないかの縁なんでしょうね。(関係ありませんが、近鉄の快速急行も今津に停まりますからね。) それでも記事の通り、今津灯台にも深い歴史があります。 上に書いたようなめっちゃ素人な目線から切り替えてみてみればみるほど面白いです。 江戸時代にここを発着していた樽廻船の象徴、西宮と酒蔵の歴史を考えればとても重要な存在なんです。 撮影した時間帯はすごく晴れていた昼下がりでしたが、別のサイトで拝見した夕焼け空と今津灯台の写真も撮ってこちらに掲載したいなと思うほど、夕方からは美しい今津の灯台も拝むことができるそうです。 西宮道楽もちょっと目線を変えて、夕方以降の写真もこれから撮っていかなあきませんね! (ただし今の時期(7月)はかなり遅くなりますけどね) 編集部 T.Y.
---転記終わり--- ・転記元「まいぷれ」( ここ をクリック![]() PR |
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