ねむの木学園の記事 を下記に転記しますので、ご覧ください ❣ ---転記始め--- 障害ある子に寄り添い50年 ねむの木学園の宮城さん
(中略) 体が不自由な子供たちのための養護施設として、女優宮城まり子さん(91)が日本で初めて設立した「ねむの木学園」(静岡県掛川市)が6日に50周年を迎える。売名行為との批判を乗り越え、半世紀にわたり子供たちに寄り添い続けた宮城さん。「健康な人も、そうでない人も集まれる場所をつくりたい」と今も夢を追い続けている。 桜の咲く山道を車で抜けると、赤い屋根と白壁の建物が姿を見せた。現在、身体障害や知的障害のある4~78歳の男女73人が施設で暮らす「ねむの木村」だ。村には美術館や障害者施設「ねむの木学園」と、特別支援学校があり、うち33人が学校に通う。 楽譜を持った女の子が、職員の演奏に合わせ体を大きく揺らす。「字は読めなくてもね、楽譜は読めるの。不思議よね」。国語や算数といった授業もあるが、学園では音楽や絵画など感性を養う教育に力を注ぐ。 きっかけは1960年、脳性まひの子役を演じたことだった。障害児に対する教育の場が整備されていないことを知り、悲しさと怒りでいっぱいになった。「この子たちに楽しい勉強をさせてあげたい」。土地を探し、資金を調達するなど奔走した。「売名行為」と周囲は冷笑したが、めげなかった。 障害者への偏見が強く、旧優生保護法下で障害者への不妊手術が行われていた時代。児童福祉や障害者福祉に関する法律が整っておらず、厚生省(当時)や静岡県に働き掛け、特例で設立が認められた。68年、同県浜岡町(現御前崎市)に「養護施設ねむの木学園」を開設。97年に掛川市へ移転した。 この50年、「何もしてあげられていないのでは」と無力さを感じるたびに運営から手を引こうと思った。でも、できなかった。「子供たちが私を愛して、私も子供たちを愛しちゃったから」 学園では「母ちゃん、母ちゃん」と子供が宮城さんを呼ぶ声が絶えない。そのたびに「はーい」と声を振り絞るが、子供が姿を消すと「苦しい、疲れちゃった」とため息が漏れる。年齢には勝てず、最近は車いすでの移動が多く、横になる時間も増えた。それでも宮城さんの夢はぶれない。健常者も障害者もともに過ごせる場所をつくるため、ねむの木村に公園の建設を計画している。〔共同〕 ---転記終わり--- ・転記元「日本経済新聞」( ここ をクリック )尚、ねむの木学園のサイト は ここ をクリック PR |
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