1970年アメリカで,E.マスキー連邦上院議員から提案され,制定された大気汚染防止法。内容は,75年までに排出ガス減少技術を完成し,既存自動車排出ガス水準の 10分の1まで自動車排出ガスを減少させようとするものであったが,73年の石油危機を契機に,技術上の困難と省資源を理由に修正がはかられ,次々に実施も延期,80年までに実効が期せられないまでに後退した。とはいえこの法律は,以後の環境改善にとって大きな意義をもっていた。その特色は,(1) 環境保全の目的を達成するための目標をあらかじめ企業に示し,企業はその指針に沿っていれば規制基準の急変に見舞われることがないこと,(2) 技術の改善に一定期間をおくことで,企業に余裕を与えて,改善の技術的可能性を与え,また無用なロスを防ぐこと,(3) 指針に強制力をもたせて,変更や逸脱を許さないこと,(4) 企業間のぬけがけは防げないとしても,先進的企業を他が牽制することを防ぐこと,などである。一方,日本ではこの法案を契機として自動車の低公害化が進み,段階的に排出ガス基準がきびしくなってきた。
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1970年に米国で制定された、自動車の排気ガスを規制する法律の通称。上院議員マスキー(E.S.Muskie)が法案を提出。
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アメリカで1970年に設けられた、自動車の排気ガスを規制する法律の通称。提案者である上院議員マスキー(E. Muskie 1914~1996)の名にちなむ。
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アメリカ合衆国の環境保全、とくに自動車の排出ガスによる大気汚染を規制しようとして制定された法律。厳密には、1963年制定の大気清浄法Clean Air Actを強化した1970年同法修正法であるが、この画期的強化を図った民主党マスキーEdmund S. Muskie上院議員(1914―96)の名をとり、同修正法をマスキー法と称する。弁護士出身の彼は、メーン州選出上院議員を1959年から80年まで務めた。同法の特色は、70年型自動車の排出ガス排出量に対し、一酸化炭素と炭化水素とを75年までに90%減少させる、同じく窒素酸化物については76年までに90%減少させねばならない、これを達成できない自動車は販売禁止にする、というものであった。公害対策としてまことに注目すべきもので、日本の自動車界にも大きな影響を与えた。その後、石油危機でアメリカ業界はこの規制を骨抜きにしてしまったが、市民を背景とする74年夏の七大都市調査団の活動圧力などが高まった。一方、日本の業界では規制に合格する低公害自動車を続々と開発し、世界進出の機をつかんだ。なお広義には、1972年に改正成立した連邦水質汚濁防止法Federal Water Pollution Control Act Amendments 1972いわゆる「水のマスキー法」もあり、汚濁物質をいっさい一般水域に排出しないという画期的目標を示した。[柴田徳衛]
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(マスキーはMuskie) アメリカ合衆国の「大気汚染防止法改正法」の通称。上院議員E=S=マスキーが中心となって、一九六三年の「大気汚染防止法」を七〇年に抜本的に改正したもの。
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世界大百科事典内のマスキー法の言及
【自動車排出ガス規制】より
…これに対し上院議員ネルソンは,1975年を目標に,内燃機関による自動車の全面的な製造禁止を提案した。この両提案の妥協策として,上院議員エドマンド・マスキーは,75年までに排出ガス濃度の90%削減を提案し,これが骨子となって〈70年改正大気清浄法〉,いわゆる〈マスキー法〉が成立した。 日本の排出ガス規制は1972年の中央公害対策審議会答申に沿って実施されている。…
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