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一般的なシンガポールとマレーシアの対日感情の違い(転記記事)

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---転記始め---

一般的なシンガポールとマレーシアの対日感情の違い

シンガポールとマレーシア。
このふたつの国家では対日感情における温度差がある。

 

シンガポールはもともとマレーシアの一地域であったが、
第二次世界大戦後、1960年代に中国系住民とマレー系住民との間で
争いが起き、分離独立する形で今に至っている。

 

第二次大戦中、マレー半島およびシンガポールは
もともとイギリスの植民地であったが、日本軍の怒涛の快進撃により
イギリスは駆逐され、マレーシアとシンガポールは日本降伏のときまで
日本占領下におかれた。

その際の、日本軍の住民との関わり合いが
今日への対日感情への違いに至っている。

 

マレーシアからシンガポールが分離・独立したきっかけは
マレーシア政府のマレー人優遇政策にあった。

もともとマレーシアはイスラム教を国教とするマレー人を
主体とする国家であるので、移民としてマレーシアに根付いている
中国系の住民は不利な環境にあった。

そんな中、シンガポールはマレーシア国内の自治州として中国系が
自治を担っていた。

 

その結果、中国系の人々にとってはシンガポール自治州の
マレーシアからの分離・独立は自分達の立場を守る苦肉の策であったのだ。

それによってシンガポールは誕生した。

 

そういった歴史の流れがあったので、シンガポールは中国系住民が
大半を占める。

 

そして、第二次大戦中の日本占領下では、激しいスパイ摘発が行われていた。

もともとイギリス植民地としてのマレーシア・シンガポールでは
中国系住民は商売を生業とする者が多かった。

よってイギリスを相手にする商売を手がけている者が
イギリスに日本軍の情報を提供することで
自分の利を得ている事実もあった。

 

日本軍のスパイ摘発は当然のことだったといえる。
統制を図るためには激しくスパイを弾圧しなければならないのである。

なので現地では日本軍の憲兵隊が恐れられていた。

 

自分さえよければといった一部の中国系商売人によって
中国系住民は摘発の対象となっていたのだ。

その話が膨らんで、
戦後の中国系シンガポール人の対日感情に影響してきた。
いっぽうのマレー人にはイギリスのスパイは
ほとんど皆無であったといえるので、日本軍のマレー人への扱いは
丁重だったといえる。

むしろイギリスを追い出してくれた日本に対して
マレー人は感謝の念を持っているくらいである。

 

日本軍が去った後、再びイギリスがマレーシアを
植民地にした。

しかし第二次大戦後、イギリスには国力が残っておらず、
マレーシアはついに独立を勝ち取ったのである。

 

マレーシアのかつての首相はこう述べている。

「日本軍がイギリスを追い払ってくれたおかげで、
独立への勢いがつき、今日に至っている。」

「日本がいなければ、我々は今でも搾取され続けて
プランテーションでゴムをつくっているだろう」と。

 

そういった歴史的背景から、
マレーシアとシンガポールの対日感情の温度差が生まれたのである。

 (以下省略)

---転記終わり---
   ・転記元[アジア5大中華圏.net]( ここ をクリック emoji


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【2021/07/29 19:10 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
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