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元伊藤忠商事会長だった丹羽宇一郎が徴農制を提唱している。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/hokkaido/feature/hokkaido1197698160920_02/news/20090427-OYT8T00401.htm 学生に農業を強制すれば農業が活性化するのだと言う。馬鹿じゃないか?強制した農業が活性化する訳がない。戦前の日本は徴兵制をとっていた。その日本は太平洋戦争で連戦連敗であった。しかし、唯一日本人よりもアメリカ人の戦死者が多かった戦いがある。それは硫黄島の戦い。 これは『硫黄島からの手紙』として映画にもなったのでご存知の方も多いでしょう。 硫黄島の指揮官栗林忠道陸軍大将は他の戦場の指揮官とは根本的に異なっていた。この戦場以外の日本軍の指揮官は部下を徴兵されてきた兵士だからと言って、奴隷のごとく扱った。言うことを聞かないとすぐに殴り、食料も満足に与えずに長時間労働を強制する。だから兵士の士気はお知連戦連敗状況に陥った。だが、硫黄島からの手紙を見ても分かるように硫黄島では兵士に充分な食料がふるまわれ、休息も与えられた。だから、硫黄島の日本軍兵士の士気は高く、作戦も合理的であったため日本人戦死者はアメリカ人戦死者より少なかったのだ。オリンピックの金メダリストバロン西もこの戦いに参戦していた。だから、アメリカ軍は最終攻撃の前にバロン西に投降勧告を行いましたがバロン西はここで戦死しました。 昭和19年43歳のとき、本土の防衛線硫黄島を死守するため北満州から硫黄島に移され、翌20年2月16日、米大艦隊の島の地形が変わるほどの艦砲射撃の中、米軍から「バロン西、出て来て下さい、あなたをうしなうのは惜しい・・・」という投降勧告もありましたが、彼は愛馬ウラヌス号のたてがみを胸ポケットにしのばせたまま玉砕しました。(http://www.eonet.ne.jp/~m-hirose/ijinden/7gatu/0712.htmkからの引用) これを見ても分かるように徴兵された人間が懸命に働く訳がない。されに言えば、ベトナム戦争でアメリカは若者を徴兵してベトナムに送り込んだ。だが、ベトナム戦争の戦勝国はベトナムであった。大国アメリカは若者を大量に徴兵して戦場に送り込んだが、小国ベトナムに敗戦した。徴兵した戦士がまともに活躍するはずなどない事はこの二つの例を見れば一目瞭然である。丹羽宇一郎の徴農制論議など一生に付すべき論議である。まともに取り上げるものではない。 私は丹羽宇一郎を徴農制の馬鹿と読んでいる。 PR |
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