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戦艦「大和」の主砲削った巨大旋盤、70年経て現存(転記記事)

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---転記始め---


戦艦「大和」の主砲削った巨大旋盤、70年経て現存
時を刻

2019/6/20 7:01

旧日本海軍の戦艦「大和」=共同

旧日本海軍の戦艦「大和」=共同

全長263メートル、基準排水量6万5000トンの威容を誇る史上最大の戦艦「大和」。そのシンボルである46センチ砲の主砲を削った工作機械が兵庫県明石市の機械加工会社、きしろの播磨工場(同県播磨町)に現存する。

大和を設計した当時、「世界の戦艦が搭載する最大の主砲は40センチ砲だった」と『戦艦大和誕生』(前間孝則著)は記す。重さ1.5トン近い砲弾の射程は4万1400メートル。敵艦の砲弾が届かない海域から遠距離砲撃で先制攻撃をかける。個々の軍艦の圧倒的な性能差で数の劣勢を補おうとした。

戦艦大和の主砲を削り出した独ワグナー社製の工作機械(兵庫県播磨町)

戦艦大和の主砲を削り出した独ワグナー社製の工作機械(兵庫県播磨町)

■ドイツから輸入

ただ、日本の生産設備は世界最強を目指す巨大戦艦の要求水準に達していなかった。日本を取り巻く国際情勢と機密保持を考慮すれば米英製の機材は極力避けたい。大和建造プロジェクトでは必要な特殊機械をドイツからの輸入に頼った。

1938年、大和建造を担う広島県呉市の旧呉海軍工廠(こうしょう)にドイツ・ドルトムント市のワグナー社から製造番号「15299」のプレートを付けた大型旋盤が届いた。蒸気機関車を思わせる巨大な機械。内蔵する独AEG社製モーターが旋盤の主軸を駆動し、100分の1ミリ単位の精度で長さ21メートル、直径1メートル超の主砲9門の外周を加工した。呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)の戸高一成館長は「200トンの鉄の塊から160トンの砲身を削り出した」と話す。

大和は40年に進水し、41年に旧海軍へ引き渡された。だが、対峙する戦艦同士が勇ましく主砲を撃ち合う大海戦は経験しないまま事実上の特攻作戦に駆り出され、45年4月7日、鹿児島県枕崎沖で沈没した。

戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は旧呉海軍工廠の設備を徹底的に破壊した。大和のような高性能艦を日本が再び建造するのを防ぐためだった。奇跡的に15299だけは難を逃れ、53年に神戸製鋼所高砂製作所(兵庫県高砂市)に払い下げとなった。神鋼は主軸や芯押し台の位置を500ミリかさ上げし、安全装置を追加するなど改造し、世界シェアで4割を占める舶用ディーゼルエンジンのクランク軸加工に用いた。15299は大きな故障もせず、91年まで動き続けた。

何しろ戦艦大和の建造に貢献した名機だ。退役後もスクラップにはならず、高砂製作所の一角に鎮座していた。これに目を付けたのが神鋼と取引のあるきしろだった。急増する仕事をさばくため、神鋼に貸し出しを打診した。

96年に15299はきしろの播磨工場に引っ越し、現役復帰した。「最近の工作機械と違い、ワグナー旋盤は構造が骨太でクランク軸の粗削りに向いていた」と中島千寿常務。きしろで若干の削りしろを残した最終加工直前の状態に仕上げ、神鋼に納めた。

戦艦大和の主砲を削り出した工作機械の製造番号「15299」を記したプレート

戦艦大和の主砲を削り出した工作機械の製造番号「15299」を記したプレート

独ワグナー社製の大型旋盤兄弟機の製造番号「15009」を記したプレート

独ワグナー社製の大型旋盤兄弟機の製造番号「15009」を記したプレート

■2013年に稼働停止

70年以上も切削加工を続けた15299。老朽化は否めず、新型の数値制御(NC)工作機も導入したことなどから、2013年に停止した。実はすぐ隣でワグナー製の兄弟旋盤が現在も稼働中だ。船のエンジンとプロペラをつなぐ推進軸の加工などに使っている。「父(松本好雄会長)が71年にドイツへ出かけて購入した中古の大型旋盤が偶然、同じ型式だった」と松本好隆社長は明かす。

兄弟機の製造番号は「15009」。尻池穎識顧問は「戦前にこんな大型旋盤を200台以上も製造したとは」と驚くが、実情は定かでない。確かなのはドイツ生まれの大型旋盤2台が海を渡り、遠く離れた播磨町で運命の再会を果たしたという一事である。

(編集委員 竹田忍)

---転記終わり---
   ・転記元「日本経済新聞」( ここ をクリック emoji )

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