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東京では1、3、4、6、8、10、12チャンネルでテレビを放送していました。これに対し同じくらいのテレビ局数が設立された大阪では2、4、6、8、10、12でした。
何故、大阪では1チャンネル飛ばしのチャンネルだったのでしょうか?それは、当時のテレビがアナログ放送であった事に理由があります。アナログ放送の場合は隣り合うチャンネルがあると、放送電波の混信が起こります。そのために、1チャンネル置きにテレビ局免許を出したのです。ですから、2、4、6、8、10、12でVHFテレビのチャンネルは埋まったと考えられます。 東京の10チャンネルと12チャンネルは最初、教育番組の放送局として設立されたのです。ですから、最初の頃の東京10チャンネルは日本教育テレビと呼ばれていました。「日本教育テレビ」の英語名の頭文字をとってNETテレビと言っていました。その後、NHKが教育専門チャンネルを放送するようになったり、同じように教育専門局だった東京12チャンネルが経営不振に陥ったこともあり、東京12チャンネルと共に一般放送の免許に切り替わったのでした。 東京では大阪よりも早くテレビ局数が増えました。東京でも最初は大阪と同じように偶数のテレビ番号であったと思います。でも、東京では大阪と同じように偶数のテレビ局数が埋まっていた。2、4、6、8、10、12です。そこにNHKが教育専門局を開設することになった。そのためNHKはNHK総合とNHK教育の2本立てになった。すると、何処かにNHK教育の放送電波を割り当てる必要があ普通テレビのチャンネルの放送電波は連続しています。ですから、アナログ放送では連続したテレビ番号を付けることができなかったのです。でも、不思議なことに3チャンネルと4チャンネルの放送電波は連続していないのです。ですから、3チャンネルと4チャンネルで放送することができた。そこで、NHKは総合放送のテレビ番号を2チャンネルから1チャンネルに異動したのだと考えられます。そして、1チャンネル間を空けた3チャンネルで教育専門放送を開始した。これが、NHK教育です。 でも、大阪では10チャンネルまでしか使われていない時期にNHKの教育専門チャンネルの開設が決まったので、NHK教育には12チャンネルを割り当てることができた。その後、テレビは多極化が進み、UHF放送が始まった。UHF放送は1から12チャンネルのVHFとは離れた電波を使っているので多局化が進みました。 その後、電波の需要が高まり、またデジタル技術の進歩に伴いテレビ放送もデジタル化しました。これが地デジです。地デジはデジタルなのでテレビ局番号を連続することができるのです。勿論衛星放送は最初からデジタル放送なので局番号は連続しています。 アナログ時代のテレビが連続した番号を取っていないのはこんな理由があったのです。 PR |
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