忍者ブログ
  • 2025.02
  • 1
  • 2
  • 3
  • 4
  • 5
  • 6
  • 7
  • 8
  • 9
  • 10
  • 11
  • 12
  • 13
  • 14
  • 15
  • 16
  • 17
  • 18
  • 19
  • 20
  • 21
  • 22
  • 23
  • 24
  • 25
  • 26
  • 27
  • 28
  • 29
  • 30
  • 31
  • 2025.04
[PR]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

【2025/03/13 02:09 】 |
阪神甲子園線(転記記事)

---転記始め---

鉄道歴史地図は、鉄道の開業年、設置・廃止時期、廃線の路線図、時代による変遷が地図で一覧できるサイトです
地図
Leaflet | © OpenStreetMap contributors
2013

阪神甲子園線

阪神甲子園線の路線図です。
初期状態ではすべての時点での路線・駅が表示されています(廃線部分を含む)。
特定時点での路線・駅を表示するには、「時期指定する」をクリックして下さい。
「元の路線を表示」で最初の状態に戻ります。

甲子園線(こうしえんせん)は、かつて上甲子園 - 浜甲子園間、他に浜甲子園 - 中津浜(なかつのはま)間を結んでいた阪神電気鉄道運営の路面電車。
国道線開通のちょうど1年前(1926年)、阪神が開発した郊外住宅地である甲子園への足として、まず甲子園 - 浜甲子園が開業。国道線開通、続く国道線直営化を受けて、1928年6月に上甲子園まで延長、国道線と連絡した。続く1930年、浜甲子園からさらに海岸部の中津浜まで延長したが、この区間は太平洋戦争末期に休止となり、後に廃止された。
当初は阪神本線の、後に国道線の支線としての役割を担い、また戦後に浜甲子園団地が開発され「団地を走る軌道」との個性を見せていた。廃止直前の昭和40年代後半には、国道線の西半分の運転間隔は48分間隔と、もはや大都市近郊の鉄道としては末期症状の様相を呈していたが、甲子園線は12分間隔で運転されるなど乗客数も比較的多く、団地住民の足としての役割を果たしていた。
しかし、国道線の廃止により浜田車庫への出入庫ができなくなるために廃線の方針が出された。当然ながら、住民からの廃止反対の声が上がったものの、結局は1975年(昭和50年)5月の国道線全廃と共に廃線となった。国道線との直通は、海水浴シーズンにわずかに行われたのみで普段は無く、基本は上甲子園以南の折り返し運転だった。
廃線後、浜甲子園駅については立入禁止とされながらも、1980年代前半まで架線が撤去された程度で、駅舎、プラットホーム、線路がそのまま残されていた。駅跡は現在、観光バス用臨時駐車場の一部となっており、基本的に甲子園球場でのイベント(プロ野球、高校野球)開催日のみ開放されている。特に春夏の高校野球開催期間中は、各出場校の応援バスが現地にて多数待機している姿が見られる。同駅の線路跡部分については暫く立入禁止とされ、線路跡も薄っすらと確認できたものの、現在はアスファルトで埋められており、駐車場使用時に通路として開放されることがある。そして、廃線跡の道路である甲子園筋と国道43号は立体交差(国道の本線が上をまたぐ)となっており、国道の高架橋には架線を吊るすための金具が残されている。
また、戦中に廃止された中津浜延伸部分も、西宮市と阪神電鉄との間で整備費用負担割合の相違があったため先送りされ続け、本線廃止後の1980年代に入ってもアスファルト舗装されない未舗装の道路として残っており、1990年初頭に舗装工事が完了した際に新聞記事になるほどであった。

阪神甲子園線 路線

詳細
甲子園線
運営会社 阪神電気鉄道
事業者種別 民営鉄道
供用開始 1926年
設置開始 1973年
設置終了 1974年
甲子園線
運営会社 阪神電気鉄道
事業者種別 民営鉄道
供用開始 1926年
設置終了 1972年

阪神甲子園線 駅

詳細

---転記終わり---
   ・転記元「阪神甲子園線」(ここ をクリック emoji


拍手[0回]

PR
【2020/04/25 09:53 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
<<ヒートアイランド現象を緩和する為に苔を利用するというお話 ❣(転記記事) | ホーム | 「世界は、コロナ感染症に対する日本人の対応に驚愕した ❣」というYouTube動画から始まるお話 ❣ ❣(転記記事)>>
有り難いご意見
貴重なご意見の投稿














<<前ページ | ホーム | 次ページ>>