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  • 2024.05
「1個150円の卵が売れる理由とは?」(転記記事)

---転記始め---

(前略)

1個150円の卵が売れる理由とは? 自然養鶏家・檀上貴史さんに聞いた「奪うより与え続けたら不思議と成り立った」という小さな養鶏場の物語

(中略)

              

自分の暮らしかたや働きかたに疑問を持ったり、窮屈になってしまったことはありませんか?
 
好きな場所で、好きなことをして暮らしたい、そう思っても、お金が、家族が…と立ち止まってしまう人も多いのではないでしょうか。
 
これからご紹介する養鶏家・檀上貴史さんも、暮らしかたや働きかたに、モヤモヤした境遇を抱えていたひとり。経営者として10年間、バリバリと稼いでいた檀上さんですが、一転、養鶏家を目指しました。
 
養鶏が家業でもない檀上さんが、5年間で養鶏事業を拡大、1個150円(!)の卵を売るに至るまでには、どんなストーリーがあるのでしょうか。
 
ビジネスマンから、養鶏家へ。
 
今回は、地域に根ざした養鶏を営みながら暮らしをつくる地域循環型自然養鶏家・檀上貴史さんにお話を伺いました。働きかたを180度変えた檀上さんのストーリーを、養鶏場「春夏秋冬」のかわいい鶏たちの様子とともに、ゆっくり味わってみてください。
 

檀上貴史(だんじょう・たかし)
自然養鶏場「春夏秋冬」代表。銀行員、経営者を経て、地域循環型自然養鶏家に。『発酵利用の自然養鶏』の著者、笹村出氏の下で自然養鶏を学ぶ。2013年4月小田原市久野の里山にある養鶏場にて雛の飼育開始。人、経済の都合ではなく、鶏の目線に立つ養鶏をミッションとしている。妻・智子さんと愛犬、400羽の鶏と共に地域課題解決にも奮闘中。

地域にあるもので養鶏を営む

まず、檀上さんが営む自然養鶏場「春夏秋冬」について詳しくお伝えしましょう。
 
JR東海道本線、小田原駅からバスで山手へ向かうこと20分。川や畑といった、のどかな景色が広がります。そしてバス停からさらに山中へ徒歩5分ほどで、広さ約250㎡の養鶏場にたどり着きます。ここが自然養鶏場「春夏秋冬」。

養鶏場の広さはおよそ200㎡から250㎡。ビニールハウスを鶏舎仕様に改修した養鶏場に加え、セルフビルドした2つ、計3つの養鶏場で鶏を飼育しています。その飼育数は400羽。養鶏としては小規模ですが、その飼育法は従来とは大きく違います。

ワクチンや抗生物質、添加物に一切頼ることなく育つ「春夏秋冬」の鶏。有機JAS規格では1羽あたり0.15㎡が通常の飼育範囲のところ、1羽あたり1㎡の広さを保ってあげるという、贅沢な飼育環境です。

その養鶏方法とは”地域循環型養鶏”。地域の米農家から出る籾殻(もみがら)や未利用の穀物、林道の落ち葉や間伐材のチップなど、地域の中にあるものを発酵させ、発酵飼料や発酵床(鶏舎の中の土)をつくり、鶏を育てるという養鶏方法です。
 
従来の大きな養鶏場では、建物内のゲージ飼いが主流。飼料も海外輸入に頼ることが多い中、地域の中で飼料や飼育環境をつくるスタイルは、外部に依存しないビジネスになるという利点があります。お金を払って鶏糞を処理するコストも、地域の農家さんや自分の畑に戻すことでカットできるとか。
 
このように小規模な養鶏を地域の循環の中で営む「春夏秋冬」ですが、特筆すべきは、単に地域の中にあるもので鶏を育てるに止まらないという点です。

養鶏場のある地域は小田原の中でも比較的高齢化が進む地域ですが、林道の落ち葉利用は地域の清掃の支えに。農家さんがお金を出して処理していた未利用の作物を引き取って、発酵飼料として鶏の餌に。そして耕作放棄地には鶏糞を発酵させた土を入れ、小麦や大豆となど副産物をつくります。
 
地域が抱える様々な課題を、自分の養鶏にどのように組み込むかを考え、実践する。そんな課題解決のひとつひとつが、「春夏秋冬」の鶏が生む卵につながっています。

鶏がストレスなく暮らして産む卵。味は過度に濃くなく、無洗で出荷されるほどきれいです。

卵の価格は1個150円と決して安価なものではありませんが、都内や都市部を中心にお客さんは増えているそう。これまで、その取り組みを理解し、応援したいというお客さんに支えられてきたと言います。

「奪う」ビジネスから「つくる」ビジネスに

自然養鶏場「春夏秋冬」を立ち上げて今年で5年目になる檀上さんですが、実は以前は、農業にも養鶏にもまったく興味がなかったと言います。
 
大学では法学を学び、新卒で銀行に就職。その後、1年で退社。ロシアをターゲットにした車の輸出事業を立ち上げ、神奈川県・葉山を中心に都内など5箇所の事業所を持ち、経営者としてバリバリと働いていたという檀上さん。一転、養鶏家になった理由はなんだったのでしょうか。
 

事業をやっていたころは、顧客を奪う、情報を隠す、が仕事でした。そうやって事業を拡大していったんですね。でも、5年ほど経ったころ、正直しんどいなと思ったんです。

事業が拡大するとともに、奪われる立場にもなる。そこでまた戦略を打つ。やりがいはあるものの、釈然としない。また、経営者として忙しく働く日々は、家族と過ごす時間さえもことごとく奪っていったそう。

豊かに暮らしたいから稼ぐのに、妻とご飯も一緒に食べることもできない。事業は大きくなっていったものの、この豊かさはなにか違うと感じていました。

そんな時に起こったのが、リーマンショックでした。倒産するような影響はありませんでしたが、そこでふと足を止めて考えたと檀上さんは言います。

このまま、同じような働きかたを続けていくのに疑問を感じました。妻とよく話して、今後は奪い続けるビジネスはやめようと決めたんです。働きかたも労働の価値観も変えよう。つくることを念頭に働こうと。


 
その後、事業を縮小し、つくるビジネスを模索し始めた檀上さん。そこでシンプルに頭に浮かんだのが農業でした。

あらゆる農業法人、現場に足を運びました。最初は経営に携わりたいと思っていて。でも、各現場で体感したのは違和感でした。生産の現場って、生産すると同時にゴミまでつくっていると感じたんです。

雑草を抑制するためのビニールマルチがぼろぼろ落ちていて、朽ちた葉物が散乱。その横にまたマルチがびっしり貼られている。色々と勉強するうちに、本来、農業と養鶏は密接な関係にあり、農業残渣などを解決する手段でもあったことに気づきました。それで養鶏に興味を持ったんです。
 
また、鶏は卵を産み始めたら、ほぼ毎日生む、だから毎日の売り上げがたつ。もともと農家や畜産の出身ではない僕が参入するのに非常に利点になると思ったんです。

こうして、養鶏家を目指すことを意識し始めた檀上さん。しかし、現実は甘くはなかったと当時を振り返り苦笑します。

当時は町田に住んでいて、その近郊で場所を探し始めました。ところが、ことごとく断られる訳です(笑) 家畜って臭い、汚い、うるさいのイメージしかない。しかも、素人。最後はもう諦めていました。

1年ほど場所探しに苦戦するも、ある出会いから「春夏秋冬」の物語は動きはじめたそう。偶然参加した神奈川県・小田原の援農体験、その主催が地域循環型養鶏の提唱者・笹村出氏でした。

笹村さんのことは、実は全く知らなくて(笑) 何度か通ううちに「なんで農業体験をやってるの?」と聞かれたんです。今までのこと、養鶏をやりたいこと、場所がないことを話しました。すると、「僕が使っていた養鶏場が空いてるよ」と言われて。びっくりですよ。

こうして笹村氏のもと、発酵利用、地域循環型の自然養鶏を学び、養鶏場という場を得た檀上さん。しかし、更なるハードルに直面します。
 
それは地域の受け入れ。どこぞの誰かわからない素人が養鶏をやる。ただでさえ、家畜の商売は厳しく、地域も受け入れに慎重だったといいます。

5年間で2つの鶏舎をセルフビルドで増設。事業を拡大するために欠かせない土地も、地域の人が快く貸してくれたそう。

養鶏なんて、病気が出たら最後です。この地域で家畜を商売にした人もいない。成り立つわけがない。絶対無理だと言われました(笑) 仕方のないことです。

だから、まず地域に受け入れてもらうことが大事。そこで、自分が地域にとって依存してもらえる存在になるような、地域の課題解決の役にたつような養鶏をしようと考えたんです。

積極的に地域活動参加すると同時に、養鶏に必要な発酵床や発酵飼料は地域課題の中から調達する。そんな養鶏を営む檀上さんに、地域の人も徐々に応援してくれるようになったそう。

地域の人って本当によく見ていてくれるからありがたいです。依存してもらう、からすぐに恩を返す、に変わっていきました。

養鶏を初めて約1年。地域課題を徹底的に組み込んだ自然養鶏「春夏秋冬」は、本格的なスタートをきることになったのです。

見返りを求めなくなったら、不思議と事業が広がった

偶然の出会いから小田原という地で養鶏をスタートした檀上さん。その事業は最初からうまくいっていた訳ではないものの、ある気づきが今の養鶏につながっていると言います。

最初は、地域に受け入れてもらうためという気持ちで課題解決を組み込んだ養鶏をしていて。ビジネス視点も強かった。普通の養鶏は、餌も鶏糞もコストです。そこを利益にするために地域のものを使う。

でも、実際に始めてみたら、地域貢献で素晴らしいと言われても、それが売り上げにつながるかというと別の話。やっぱりビジネスの視点で見ている自分がなんだか気持ち悪かったんです。

働きかたは変わったのに、ビジネスを意識してしまう。売り上げや顧客の確保は、以前と同じ構造になっていないだろうか。3年目に入った時、自分の在り方、仕事について改めて考えたという檀上さん。その時の気づきが変化につながったと言います。

ずっと買い支えてくれるお客さんに、自分の養鶏の魅力を聞いてみたんです。すると、「自分のビジネスの責任をちゃんととっているからだ」って言われて。
 
地域に受け入れてもらったこと、地域で自分のビジネスが成り立っていることを受け止め、返しているってことだと。自分では意識してなかったので、びっくりしたのが本音です(笑) だったら、ビジネスとか稼ぐことはまず置いておいて、もっと地域課題を解決するために自分の養鶏をどう地域に添えるのか、考えて実践するのみだと思いました。

連作障害の出た畑を借り、大豆と麦を交互に育て、鶏の飼料に。土の改善にもつながり豊かな畑に戻す効果も。戻った後は、近所の園児たちの芋掘り用の畑として返すと檀上さん。 

養鶏を始める上でたくさんの人に力をもらった分だけ、ビジネスを超えて尽力しよう。そう決め、実践していく。すると、今度は不思議なことが起こり始めたと檀上さんは続けます。

ギブというか、見返りを求めなくなったら、事業が広がっていったんです(笑)

事業が広がるとは、単に売り上げが伸びただけではないそう。

お金として返ってくるのは都市部からがほとんど。でも、自分の養鶏を成り立たせるために必要なものは地域からどんどん返ってくるんです。

田畑や果樹園、すぐに収穫できるような生産地もどんどん紹介してくれる。トラクターももらいました。稼ぐことを意識しなくなってから、自分の養鶏がより地域の循環の中で生かされ、結果として事業も成り立つ、フローではなくストック型のビジネスに変化していったんです。

生産地にしておよそ4500坪、果樹や作物の生産販売も主力の売り上げにつながる恵まれた環境。そしてさらに、そうしたものが地域から返ってくるスピードも加速していったそう。

棚田とセットで受け渡された梅林。梅仕事や田植えを通じて、お客さんや若手を土地とつなげていくことも自分の務めだと言います。 

まったく見返りをもとめてないっていうと嘘になるけど、マインドの変化としてもとめない部分が大きくなっただけ。ビジネスをやっている人には理解されないかもしれない。でも成り立つんですよね。

ビジネス感覚で顧客数を増やし、金銭を稼ぐ。そこから離脱すると逆に事業が広がった。そこには「こうしたらこうなった」という明確な方程式はないと檀上さんは言います。
 
自分の置かれた現状を受け入れ、ただやるのみ。自然養鶏「春夏秋冬」の檀上さんが生み出す卵は、シンプルにだれかの「美味しい!」につながり、地域の課題解決へと循環しているのです。

暮らせる以上は、儲けもん

人が大好きな春夏秋冬の鶏たち。鶏との暮らしは檀上さんの暮らしのすべてです。

最後に、「奪う」から「与え続ける」ことで養鶏を営む檀上さんにとって、仕事とはなにかを伺いました。

小田原にきて、諸先輩方を見ていると、うまい具合に「仕事」という言葉を使い分けてるんです。「今日、村仕事だから」っていうのはボランティア。「その日は仕事休めないからだめだ」っていうのは稼ぎの仕事だったり。稼ぎの仕事も、地域のためのボランティアも、言葉は使い分けるけど、同じ仕事なんですよね。
 
その価値観って、事業をやっていたときにはまったくないものでした。以前は、仕事は稼ぐこと、稼がないことは、仕事じゃないという感覚で。今は、まったく違います。朝、「よし働くぞ」って鶏に餌をあげるわけじゃない。それが暮らしの一部なんです。仕事が暮らしの中に溶け込んでいる。

自分の仕事である養鶏が暮らしの中に溶け込むことで得られるものは、他にもあると檀上さんは続けます。

お金を稼がないと生きていけない。もちろん、そういう考えもあると思うし、実際、自分も事業主だったころはそうでした。今は、自分と家族と愛犬と鶏が暮らしていけるだけの食料をまかなう体制が整っているから、別に不安はないんです。だから、それ以上は儲けもんです。

それ以上は儲けもん。日々食べるもの、暮らす場所があり、事業が成り立ち、家族といる時間もある。これ以外になにを求めるのか。その価値観は人それぞれですが、檀上さんのストーリーの背景には至ってシンプルな考えがありました。
 
ふと足を止めた時、自分が本当に大事にしたいこと、安心して暮らすために必要なこと、そんなことを想い描いてみませんか?
 
そこがあなたの新しいスタートになるのかもしれません。

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【2018/07/08 11:39 】 | いいもの見つけた | 有り難いご意見(0)
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