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原発廃炉の作業員になった「ヤメ暴」ーー行き場のない人間が辿り着いた場所(転記記事)

---転記始め---

横関一浩

原発廃炉の作業員になった「ヤメ暴」――行き場のない人間が辿り着いた場所

11/19(月) 7:46 配信

全基廃炉に向けて、いまなお懸命の作業が続く東京電力の福島第一原発。周辺の汚染された地域では除染作業も続く。その“日本で最も危険な場所”ともいえる現場で働く元ヤクザたちがいる。暴力団への締め付けが厳しくなるなか、ヤクザをやめても仕事はなく、暮らしはままならない。行き場を失った彼らが、生活をするためのよりどころとして辿り着いたのが福島第一原発だった。その“現実”を当事者たちに聞いた。(取材・文=今西憲之、鈴木毅/Yahoo!ニュース 特集編集部)

強化される「身元調査」

東京電力の福島第一原発敷地内に廃炉作業の拠点として2016年に完成した新事務本館。今春、その最新鋭の建物の一室に呼び出された作業員は、向かい合った東電の面接官から矢継ぎ早に質問された。

「暴力団との関係はありますか?」

「過去5年に懲役刑は?」

「海外への渡航歴は?」

1対1の面接で根掘り葉掘り過去を聞かれる。

原子力規制委員会がテロ防止のために電力会社に義務づけた「身元調査」だ。

原発作業員に対して、住民票など身元を証明するものを提出させ、海外渡航歴や薬物歴、犯罪の前科、暴力団やテロを行う恐れのある組織との関係などを自己申告に基づいて調べる。中央制御室や放射線管理区域などに立ち入ったり、重要情報に接したりする作業員たちを対象に2017年11月から始まった。それが“末端”にまで広がってきたのである。

廃炉作業が進む福島第一原発(撮影:横関一浩)

「もちろん元ヤクザだなんて言えません。『過去にはやんちゃしていたけど、この5年間は警察の世話になったこともない』というくらいの話でごまかして、なんとか乗り切りました。

面接官の関心はむしろテロ組織とのつながりで、海外渡航歴を執拗に聞かれましたが、そっちはたまに東南アジアに遊びに行くくらいですからね」

そう語るのは、数年前からフクイチの現場で汚染水処理関連の作業に従事する40代後半の岸田孝雄さん(仮名)だ。作業服に身を包み、穏やかな表情で淡々と語る姿からは想像しにくいが、以前は指定暴力団6代目山口組の直参組長に側近として仕えていた人物である。警察が作成したある抗争事件の捜査資料にも、岸田さんの名前は「組幹部」として載っていた。

10年ほど前にヤクザの世界から足を洗い、職を変えながら辿り着いたのが、フクイチの現場だった。

原発作業員としてフクイチで働く岸田さん(撮影:横関一浩)

「まさかヤクザから原発の仕事に転身するなんて思ってもみませんでした。原発の現場に入るのはさすがに審査が厳しいだろうと不安でしたが、実際はザルで誰でも仕事ができた。現場には、数年前まで元ヤクザや前科者がゴロゴロいましたよ。ただ、とにかく人手が必要だった“急性期”は終わったのか、ここ2~3年で審査が厳しくなって、いまはもう、スネに傷をもつ人間はなかなか中に入れません。すでに働いていた人たちも、今年に入って身元調査が厳しくなるというウワサが流れて、過去がバレる前に辞めようと去っていった。いま残っているのは、過去はなんであれ、“プロの職人”です」

下請け会社に紛れ込む暴力団

フクイチの現場では全基廃炉に向けて、今も終わりの見えない闘いが続いている。東電によると現在、敷地内では1日当たり約4230人(東電社員を含む)が働く。

廃炉の作業は、完了するまでに30~40年かかるとされ、事故処理の費用は20兆円を超えると試算される。しかも、「コントロールされている」とされる放射性物質が混じった汚染水は、今この瞬間もたまり続けている。この9月には東電が、汚染水をためたタンクから放出基準値の最大2万倍にあたる放射性物質が検出されたことを発表した。

上記の作業員数は東京電力の社員もふくむ。東電のまとめを元に編集部で作成(図表:EJIMA DESIGN)

廃炉や除染の現場は常に人手不足だ。

作業員募集の流れは、「東電(周辺地域の除染作業では環境省や自治体)→元請け会社(メーカー、ゼネコン)→1次下請け→2次下請け→3次下請け……」という構図になっている。もちろん、元請けのメーカーやゼネコンは暴力団の徹底排除を謳っているが、下位の下請け会社の中には暴力団の企業舎弟も紛れ込んでいるのが実態だ。

警察庁がまとめた2012年上半期の「暴力団情勢」では、〈被災地の復旧・復興工事に労働者を違法に派遣するなど、震災の復旧・復興事業に介入している実態がうかがえる〉と指摘されている。すでに事件化したケースもあり、新聞報道によるとこれまでに違法に除染作業員を派遣したとして2013年に住吉会系組員が、2015年には山口組系組員が逮捕された。2017年9月にも山口組系組長が逮捕されるなど、摘発が相次いでいる。

危険を伴い、人が集まりにくい作業で、そこに巨額の公的資金が投入されている。原発作業員や、さらに多くの人員を必要とする周辺地域の除染作業員は、復興マネーを狙うヤクザにとって大きなビジネスチャンスになっているのは間違いない。

放射線量が高い「帰還困難区域」の出入り口は警察が厳重に警備している(撮影:横関一浩)

生活に困ったヤクザにちょうどいい

もっとも、冒頭の岸田さんのような暴力団を離脱した組員、いわゆる「ヤメ暴」のケースは、復興ビジネスとして暴力団が入り込むケースと、また違う一面がある。

「ヤメ暴たちの『再就職』事情」で紹介したように、暴力団対策法や暴力団排除条例などの整備や、捜査当局の取り締まり強化によって、いまやヤクザは「食えない職業」になった。ヤクザをやめた後も、おおむね5年間は暴力団関係者とみなされ、銀行口座開設や住居の賃貸契約などが制限される。仕事にもなかなかありつけない。元ヤクザたちは厳しい現実に直面しているのだ。

それだけに、廃炉や除染の現場は、こうした行き場を失った元ヤクザたちが最後に行き着く場所にもなっている。3次下請けの原発作業員として働く牧野哲夫さん(仮名)が、こんな話をしてくれた。

「自分はこれまで10人くらい、原発作業員として元ヤクザを入れました。会社と話して1人につき1日2000円くらい斡旋料をもらっていた。懲役のときに刑務所で知り合ったヤツが中心。中には出所時に刑務所まで出迎えにいって、そのまま連れてきたこともある。自分の給料と合わせて、多いときで月100万円以上の金額をもらっていましたね」

牧野さんら、作業員の働く現場。ヘルメットがズラリと並ぶ(写真:ロイター/アフロ)

そう話す牧野さん自身、背中に大きな入れ墨がある。20年近くその世界で生きてきた山口組系列の元組幹部である。

「シャバではヤクザがますます厳しい状況になっています。生活に困った元ヤクザはいくらでもいる。みんな元ヤクザの肩書を背負って世間で生きていくことが、どれだけ厳しいかよく分かっている。作業員になれば、会社の寮にも住めるし、食いっぱぐれた元ヤクザにはちょうどいいですよ」

危険で敬遠されがちな仕事だからこそ、“社会から放り出された人間”でもお呼びがかかる。「みんなキレイごとを言っていますが、自分たちのようなヤクザ者がいなければ、原発の収束作業はどうにもならなかった」――牧野さんは、そう自負する。

組長の「お付き」からデリヘル運転手へ

岸田さんが生まれ育ったのは東海地方。ヤクザの道を歩み始めたのは20歳を過ぎたころだ。中学、高校時代はやんちゃに明け暮れた。高校中退後は地元でフラフラするばかりで、たまにバイトで稼ぐような日々。そこを偶然、地元の先輩にスカウトされてヤクザの世界に入った。当初は“腰掛け”のつもりだったが、組長に気に入られ、以来十数年、ヤクザとして生きてきた。

「いまは一作業員なんで、作業するしかない」と岸田さん(撮影:横関一浩)

「組長にずっとつく“お付き”がヤクザとして一番長くかかわった仕事でした。例えば、組長が神戸の山口組本部に上がるときは、常に周辺に異常がないか、襲撃の危険性がないか確認しながら同行します。緊張の連続でしたが、組長はとても情に厚く、子分にも気遣いを欠かさない。誇りに思える人物で、自分も必死で仕えてきました」

しかし、転機が訪れる。所属する組が抗争に巻き込まれ、事件になったのだ。

「組幹部をはじめ逮捕者が出て、自分もパクられてしまった。仲間の何人かはヒットマンの嫌疑をかけられた。事件をきっかけに組の内部がギクシャクし始めて、出所後も戻るに戻れない状況になってしまいました。それで、何かが自分の中で切れてしまって、ヤクザとは縁を切る生活を始めたのです」

しかし、元ヤクザの働き口は限られている。地元を離れ、友人のつてでなんとか都内のデリバリーヘルスで女性の送り迎えをする運転手の職を得たが、2011年の東日本大震災で店の売り上げが激減し、仕事がなくなってしまった。

その後、同郷のラーメン店の店主に拾われ、スタッフとして働き始めたが、これも2年ほどで経営不振から閉店。「またしても仕事を失って、どうしようかと途方に暮れていたときでした。ヤクザで同じ組にいた元同僚から連絡が来たのです」と岸田さんが振り返る。

(撮影:横関一浩)

30人いれば10人はヤクザ者

“旧友”はフクイチの中で仕事をしていた。聞けば、労働時間に比べて報酬はかなりいいという。人手不足だから、ぜひ来てほしいというのだ。

「月50万円は堅いということでした。元ヤクザでも大丈夫なのかと不安でしたが、現実に彼は中に入って仕事をしている。それならば、と紹介してもらうことにしたのです」

元同僚が所属していたのは、原発事故の収束作業をしている3次下請けの会社だった。岸田さんには原発の知識もなければ、現場作業の経験も若いころにやったアルバイト程度。しかも元ヤクザ。それでも履歴書の職歴に「ラーメン店勤務」と書き、面接を受けると、あっさり採用された。

(写真:代表撮影/ロイター/アフロ)

初めて原発敷地内に入った日のことは、よく覚えている。放射性物質に触れても体に付着しないように白い防護服を着て、手首や足首をテープできつく巻く。顔には全面マスクをつける。

「怖くないといえばウソになります。顔や手足が締めつけられ、じっとしていてもすごい汗。緊張して心臓がバクバクしているのが分かりました。自分みたいな人間が、原発事故の収束作業という、こんな大それた仕事をしていていいのか、と思いましたよ」

そんな疑念もすぐに消えた。作業が終わって着替えるとき、ふと見回すと、あちこちに入れ墨姿が。明らかに小指がない者もいる。

「30人いれば、10人はヤクザ者でした。突っ込んだ話はしませんが、お互いその世界にいたからすぐ分かる。そういう場所なんだ、と思いました」

言うまでもなく原発内での作業は常に危険と隣り合わせだ。特に汚染水処理関連の作業には細心の注意が必要で、防護服の上に専用の分厚い雨がっぱという重装備で作業に当たる。

「夏場の暑さは想像を絶します。作業は1時間もできない。立ちくらみが起き、息もできなくなる。熱中症寸前です。そこで倒れたら会社の管理問題になってしまうので、踏ん張るしかない。ヤクザのときよりつらい経験でした」

福島第一原発事故で汚染水のタンクを設置する作業員ら(写真:毎日新聞社/アフロ)

しかも、現場での作業は被曝から逃れることはできない。作業員の被曝線量の上限は、国の基準として「1年間で50ミリシーベルト」「5年間で100ミリシーベルト」と決まっているが、1日で1ミリシーベルトを超えることもある。

「つい最近も、仲間が作業中に高濃度の汚染水を全身に浴びてしまった。防護服の上からでもかなりの被曝で、すぐに除染をしたから大事には至らなかったものの、一歩間違えば命にかかわっていた」

さらに厳しいのは、原発作業員の仕事が「割に合わなくなってきている」ことだ。以前に比べて日当は確実に下がっている。1年ほど前には、3次下請けの作業員にも社会保険の加入が義務づけられた。保険料が日当から差し引かれ、「やっていられない」と何人もの仲間が辞めていった。

数年前に月50万円以上あった岸田さんの給料は、いま月30万円に届かない。年2回、ボーナス代わりに「危険手当」をまとめてもらえるが、それもこの先、十分な金額が出続けるか分からない。もはや“おいしい仕事”ではなくなりつつあるのだ。

除染で出た廃棄物は二重構造の「黒い袋」に入れられて管理・保管される(撮影:横関一浩)

それだけに、「多くの元ヤクザたちが、条件の緩い除染作業のほうに流れている」と岸田さんは言う。その状況は、元ヤクザを“斡旋”する側の前出・牧野さんの証言からも裏付けられる。

「今では原発の仕事もすっかり管理が厳しくなって、たとえヤクザをやめていても簡単には入れません。収入も一時期ほどよくないので、周辺地域の除染作業に人を回していますよ。除染作業は原発内の仕事ほどやかましいことを言われない。だから、そっちに人を送ればいい。まだまだビジネスチャンスはあるので、稼がせてもらおうと思っています」

「帰還困難区域」で進む復興作業

原発事故でまき散らされた放射性物質の除染作業は、放射線量が高いため長期間帰宅できない福島県内の「帰還困難区域」(双葉町、大熊町など)を除き、2017年度末でおおむね終わったとされる。環境省直轄で除染が進められてきた福島県内の11市町村を含め、8県100市町村の作業で投入された作業員の延べ人数は約3200万人、計上された国費は約2兆9000億円に上る。

2017年度からは、「帰還困難区域」の一部での除染作業が始まり、さらに、これまでの作業で「仮置き場」にためられた膨大な廃棄物の運搬・処理という作業も残っている。

JR常磐線の双葉駅では新駅舎の建設が始まっていた(撮影:鈴木毅)

フクイチから直線で4キロほどの距離にある、双葉町のJR常磐線・双葉駅。9月下旬に訪ねると、町のシンボルである駅舎のからくり時計は、今も東日本大震災があった午後2時46分を指したまま、止まっていた。

原発事故以降、「帰還困難区域」に指定されて無人となったこの町で、この日はトラックやダンプカーがひっきりなしに走っていた。駅舎では大きな重機がうなりをあげている。「こっちだよ」と作業員の大きな声が響く。これまで「死の街」だった双葉町に、不思議な活気が戻りつつあった。

作業現場では必ず放射線量が計測されている(撮影:横関一浩)

JR双葉駅から延びる目抜き通りでも除染と家屋の解体が進む(撮影:横関一浩)

一時帰宅中の住民が説明してくれた。

「国の『特定復興再生拠点』の事業で、双葉町の一部をモデル地区として徹底的に除染し、住民を帰還させる計画があるそうです。『復興五輪』を掲げる2020年東京五輪に合わせた動きです。同年春には、一部不通になったままのJR常磐線を全線開通させる計画で、いま双葉駅の新駅舎の建設が急ピッチで進められているのです。もちろん、今、住んでいる人はいません。除染してもどれだけ帰ってくるのか……」

町中では、震災直後からそのままになっている家屋の解体作業と除染作業が進められていた。町の外れには、3カ月前にはなかった新たな「中間貯蔵施設」が姿を現していた。除染作業で削り取られた汚染土や草木などの廃棄物を詰めた二重構造の「黒い袋」(フレコンバッグ)が、うずたかく積み上げられている。「30年以内」とされる最終処分までの間、ここで管理・保管されるのだ。

双葉町に現れた「中間貯蔵施設」に積まれたフレコンバッグ(撮影:横関一浩)

熊本地震や西日本豪雨災害にも

除染作業を請け負う地元建設会社の役員が、安堵した様子でこう話す。

「除染作業が一段落して、仕事がなくなるのかと不安でしたが、次に回ってきたのが帰還困難区域の家屋の解体や除染です。これまでの作業員をそのまま回して対応しています。会社の経営もおかげでなんとかやっていけています」

誰にでもできる単純作業だというが、問題は人集めだという。

「除染作業員に元ヤクザや元受刑者が多くいるというのは、ゼネコンの担当者も分かっています。表向きは暴力団関係者は厳禁だとか言っていますが、現場は常に人手不足で、真面目にやってくれさえすれば、何も言いません。うちも夕食時に『小指のないやつ、手を挙げろ』と言ったら、半分くらい手が挙がったほどです。元刑務官の除染作業員がいたんですが、『風呂に入ったら入れ墨ばかりで、ここは刑務所の風呂かと頭がクラクラした』と驚いていました」

町のあちこちで解体が進む(撮影:横関一浩)

実際、作業員を募集する側からすれば、「暴力団関係者かどうかを気にしていたら人は集まらない」という切羽詰まった事情がある。別の建設会社役員が、採用手順を教えてくれた。

「まず募集をかけて応募があると面接。そこで一応、暴力団関係者かどうかチェックします。指があるかないか、それが判断基準。ただ、(指が)ない人でも真面目そうだったり、『やめて10年になります』などと言い、履歴書で前に勤めていた会社などがはっきりしていれば雇います。とにかく人手がないですからね」

それから本人が電離放射線健康診断(電離健診)を受け、診断書を持って元請けのゼネコンなどの採用担当者のところへ行く。そこで簡単な面接があって新人教育を1日受けて、翌日から作業に入る、という流れだ。

最近では、こんなケースもある。山口組系の元組員で、覚せい剤絡みの事件などで2回服役していた渡辺真治さん(仮名)は、数年続けていた除染作業員を今年6月に辞め、現在は熊本地震の復興作業員として現地に行っている。

「最近は、ほかの災害の復旧工事に流れる傾向がありますね。福島は警察の警備が厳しく、職務質問も頻繁ですから。今年も西日本豪雨災害があったから、ますますそちらに流れるんじゃないでしょうか」

無人の町を大型トラックが行き来していた(撮影:横関一浩)

「頑張るヤツが原発を支えている」

冒頭の岸田さんは今、仕事にやりがいを感じている。

人生で初めて社会保険や年金の掛け金も支払うようになった。日々の作業で技能も身についた。溶接、クレーン、配管、玉掛け、足場などの専門的な資格も取得した。「資格試験には当然、ペーパーテストもあります。机の上でテストに向かったのは30年ぶりでしたよ」と苦笑する。

「ヤクザをやめても突っ張っていた時期はあった」と振り返る(撮影:横関一浩)

「今、人生で初めてまともに働いています。目標を持って結果を出すことは、やってみれば楽しい。自分はヤクザに戻るつもりはありません。自分を始め、周りにヤクザだった人間はいますが、それでも真面目にやれば、こうやって原発の復旧を末端で支えていける。過去がなんであれ、頑張るヤツが原発を支えているのです」

世間は厳しいが、その分、ちゃんと働けば報酬がある。働き方で評価が変わる。それはとてもやりがいがある、と岸田さんは言う。そして、こう続けた。

「元ヤクザの過去は消せませんが……できればもうちょっと手に職をつけて、いつか自分で事業を起こしたいと考えています」

(撮影:横関一浩)


今西憲之(いまにし・のりゆき)
ジャーナリスト。1966年、大阪府生まれ。大阪を拠点に週刊誌や月刊誌の取材を手がける。著書に『内部告発 権力者に弓を引いた三人の男たち』(鹿砦社)、『私は無実です 検察と闘った厚労省官僚 村木厚子の445日』『福島原発の真実 最高幹部の独白』(ともに朝日新聞出版)など。

鈴木毅(すずき・つよし)
1972年、東京都生まれ。慶應義塾大学法学部卒、同大学院政策・メディア研究科修了後、朝日新聞社に入社。「週刊朝日」副編集長、「AERA」副編集長、朝日新聞経済部などを経て、2016年12月に株式会社POWER NEWSを設立。


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