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堂島米会所 どうじまこめかいしょ (転記記事)

---転記始め---

推薦図書 #39

『大坂堂島米会所物語』

出版社名
時事通信社
作者名
島 実蔵
推薦者
起業教育研究会 企画委員

書評

最近、江戸時代が見直されている。江戸時代の経済システム、教育システ ムが近代日本の基礎になって明治以後の日本の飛躍的な発展につながったと いうのだ。特に江戸時代の日本全国の米相場は大坂商人が決定していた。米 は大名や地域の生産力、経済力の指標だったが、米は不作もあれば豊作もあっ て価格は不安定な商品だった。そこで、今でいう「先物取引」によって価格 を安定させようとしたのが、大坂商人だった。これは世界最初の先物市場で あるだけでなく、取引の精度も相当に高度なものであった。金融工学の発達 の結果、現在、全世界で取引されているデリバティブの嚆矢は日本、しかも 大阪であったことは驚きに値する。

江戸中期から幕府財政は赤字がつづき、武士の収入の基礎である米価を安 定させる必要がった。「米価」の下落を抑え武士の収入と生活を安定させる 必要があったのだ。そこで先物取引が登場し、米の生産量を調整する役割を 果たすようになる。米の買い先物が増えれば、需要が増えるから米の価格は 上がる。一方、売り先ものが増えれば供給が増えて米の価格は下がる。こう やって先物売買を済ませていると、将来の米価が安定する。これは現在の企 業取引では当たり前だろうが、300 年前に価格調整システムを機能させてい たとは驚きに値する。

最近の研究では、加島屋や鴻池屋などの大商人が、幕府の勘定方から米価 安定のために幕府が手持ち資金で市場に介入する場合の影響を諮問されてい たようだ。この時も商人たちは「マーケットに任せる」ことが価格安定につ ながることを理路整然と幕府方に説明しているようであり、アダムスミスが 主張するよりも前に「神の見えざる手」は大阪で、そのみえざる手を動かし ていたようだ。こういった事実にも驚きを隠しえない。

大坂商人は「旗降り通信」などで情報網を張り巡らせて、米の相場はもと より生産地の「災害」「事件」などを詳細に記録しており、情報をもとに米 価予測をしていたが、これはまさに現在のITに相当するだろう。江戸時代 大坂の金融システムには本当に驚かされる。

米本位の制度から発生した米切手(当時の大阪の金融取引は切手で行われ て、現在の紙幣に相当)も現在の通貨発行の制度とそっくりである。幕末、 大坂生まれの福沢諭吉が咸臨丸でアメリカを訪れた時、株式市場を見て、「大 坂のほうが進んでいる」と思ったというのもうなずける話である。この本は 大坂の先物取引市場を生き生きと活写している。

---転記終わり---
   ・転記元「大坂堂島米会所物語」( ここ をクリック emoji


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【2019/04/05 19:46 】 | みんなが知らないこと | 有り難いご意見(0)
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