プーチン大統領をもってしても「これまで色々な場所を訪れ、多くの物を目にしてきたが、こんな場所は初めてだ」と言わしめた、ロシア最大のミステリーの1つ、それがポル=バジン遺跡である。
かつてこの遺跡に関する情報をお伝えしたが(
関連記事)、土台となっている永久凍土層が融け初め、謎が解き明かされる前に滅亡の危機に瀕しているという。
(中略)
まずはポル=バジンについておさらいしよう。
ポル=バジンは、モンゴルとの国境近く、南シベリアのテレホリ湖に浮かぶ小さな島にある。約1300年前には既に存在していたという。その外観はまるで要塞のようだが、誰が何のために建て、なぜ放棄されたのか、まったくわかっていない。
最初の発掘調査で打ち立てられた仮説
ポル=バジンとは、トゥバ語で「粘土の家」を意味する。18世紀からその存在は知られていたが、正式に発見されたのは1891年であった。その構造の複雑さが専門家たちを魅了すると同時に、調査の障害にもなっていた。
ロシアの考古学者らは、8世紀半ばから9世紀に建てられた、ウィグル帝国の前首都であったカラバルガスンの王宮施設と構造が似ていることから、その頃に作られた要塞ではないかという仮説を立てた。
最初の発掘調査が行われたのは、最初の仮説が立てられた60年後であった。
発掘調査後、考古学者のワインシテインは、この遺跡は中国唐朝期の構造に似ていると発表した。調査を率いたワインシテインはポル=バジンについて「セレンガ石に刻まれた碑文によると、この王宮は葛勒可汗が750年に原住民との戦いに勝利したのち建てられた」と記している。憶測に過ぎないこの新たなる仮説が支持されるようになり、他の調査員により世間に広められた。
2007年に大規模発掘調査をするも謎は深まるばかり
その後2007年に、ロシア国立東洋美術館とモスクワ大学が共同で大規模な発掘調査を行った。考古学者たちは、人間の背丈ほどの粘土板、漆喰の壁に描かれた色あせた絵、巨大な門、木の燃え跡を発見を発見した。しかし、肝心な「なぜこの建物が建てられたのか?」という謎に対して明確な答えは出なかった。
また、もう1つの謎は住居の形跡がないということだ。放射性炭素年代測定による調査では、この「城砦」は770年から790年の間に造られたと考えられている。
この時代は759年に亡くなった葛勒可汗の後を継いだ息子の牟羽可汗の治世にあたるため、牟羽可汗が造ったことになる。牟羽可汗はマニ教を受け入れ、国家の宗教と定めたことで有名だ。そのため、マニ教の修道院としてポル=バジンの健造を開始したということも考えられる。
しかし、牟羽可汗は779年に反マニ教のクーデターで殺されている。そう考えると、住居の跡がないのも説明がつく、修道院は一度も使われなかったのだ。とは言え、これらの説を確証できるような証拠は現時点では発見されていない。
謎に包まれたまま消滅の危機
未だに多くの謎に包まれているポル=バジンだが、その未来は危機に瀕している。ポル=バジンが建っている土台は永久凍土層(土壌または風化層のすきまに含まれる水分が凍結し、全層を岩石のように固化させている部分)だが、過去1世紀にわたって、その土層が温暖化の影響により融け始めているという。
湖の水位が上がり、永久凍土層が溶けると、ポルバンジは湖に沈んでしまう恐れがある。ある研究者によると、あと80年ももたないとのことだ。
また、過去に起きた地震による影響でも損傷を受けており、地盤が脆くなっている。ポル=バジンは最低でも2回の地震の被害にあっており、1回目は建設中の8世紀に起きたもの、2回目は破滅的な地震で建物を壊したほどであった。
Mystery Island: Por-Bajin
via:www.amusingplanet・translated melondeau / edited by parumo
(以下省略)
---転記終わり---
・転記元「不思議と謎の大冒険」(
ここ をクリック

)